さて、當寺が開かれましたのは江戸時代の初め(おおよそ四百年前)になります。
その後慶安間における浜町の大火で堂宇全焼、曲析を経て寛保二年にこの本堂が再建され、以来二百五十年を経て現在に至りました。
今日まで茅葺きのその姿は、あるいは心の安らぎとしてあるいは信仰の拠り所として多くの人々に親
しまれて参りました。
とくに近年に至っては、浜町の「洒蔵通り」の景観のひとつとして県外の人々にまで知られるようになっており、多くの人々が訪れて写真を撮りスケッチをするというような光景が見られていたのは皆様ご存知のとおりです。
今般、素朴かつ重厚な姿を借しまれながら、當寺の本堂は脱皮するかのように優美・華麓に生まれ変わりました。
どちらをよしとするかは論の別れるところでありますが、このことによって歴史を担う本堂が姿を変えながらさらに永らえて、美しいもの良きものとして従前と司じように多くの皆様に親しんでいただけますなら望外の幸せでございます。
皆様の全幅のご信頼と心からなるご喜捨によりまして今日の円成に至りましたこと、深甚の謝意を申し
上げます。
本当にありがとうございました。
この小冊子は今日の良き日を記念して、語り継がれ記録されてきたことや知られているようて案外に知 られていないことをまとめ、来たるべき新しい時代に寄せて「備忘」の一助となればと思い、編んだものてございます。
拙いものてすが、ご一読賜りますれば幸甚に存じます。
つまるところ「泰智寺とは何か」という問いに答えようとしたものですが、その成果はもとより十分とはいえません。
しかし、お寺の由緒についてこの位は知っていても良いという程度の内容になったかと自足しているところもあります。
ともあれ、ご批判は読んでいただいた皆様にお任せします。
困ったことは、取るに足らぬ身で達磨大師以来の高僧の数々を語るについて、また、泰智寺現住としてご開山以来の和尚様方や歴代の殿様に触れるときに、敬称と敬語をどうするかということでしたが、考えた末に原則として使わないということにしました。
その点ご批判があるかと存じますが、ご容赦下さるようお願いいたします。
また、他のお寺については「○○寺様」というべきでしたがこれも省かせていただきました。
あしからずお許し下さい。
冬にには珍しい大雨の日の起工式に始まって、風や雪に悩まされながらそれでもまずは順調に工事が
すすみ、春を持ち夏になって今日に至りました。
ひとえに皆様のお心と仏のご加護ゆえであると感謝いたします。
また、工事を遂行していただいた職人さん、会談を重ね不断にお世話とご心配くださった役員さん、お手伝い賜りました檀家の皆さん、その他関係各位に衷心からお礼申し上げます。
平成十二年夏吉祥日