四、『開基様』と『御開山』


財力と志をもってお寺を創建された方を『開基』といい丁重におまつりします。
當寺開基は鍋島忠 茂公こと『得髓院殿悟叟崢頓大居士』がそれに当たります。
また、開基家累代の仏様を本堂の左側の 間に集めてお祭りをしているのは皆ご存じのとおりです。
豪華な(と申しては失礼かもしれませんが)お位牌の数々はまさに當寺が殿様を開基とし、鹿島鍋島家の菩提寺であることを示しています。

また、そのお寺を修業の道場・信仰の場として開かれた高徳の僧侶を『御開山』と敬意を私い、その跡を継いで住職として法灯を守ってこられた方々を『歴住諸大和尚』と呼びます。

  1. 當寺開山 在室殊嚴 大和尚
  2. 二世 宗傳珠珍 大和尚
  3. 三世 久山存泰 大和尚
  4. 四世 瑞室珠的 大和尚
  5. 五世 積峯存雪 大和尚
  6. 六世 燭翁釣雪 大和尚
  7. 七世 愚屋泰倪 大和尚
  8. 八世 説宗巍禅 大和尚
  9. 九世 萬徑九峯 大和尚
  10. 十世 法曇寿仙 大和尚
  11. 十一世 大霖潭龍 大和尚
  12. 十二世 寓仭道坦 大和尚
  13. 十三世 月耕泰牲 大和尚
  14. 十四世 心岩釣月 大和尚
  15. 十五世 祖海一元龍 大和尚
  16. 十六世 祖山智静 大和尚
  17. 十七世 實相慈門 大和尚
  18. 十八世 徳菴同應 大和尚
  19. 十九世 桐岩曹源 大和尚
  20. 二十世 璞岩雲慶 大和尚
  21. 二十一世 天真如一 大和尚
  22. 二十二世 絶宗祖転 大和尚
  23. 二十三世 大安覺城 大和尚
  24. 二十四世 貫道覺之 大和尚
  25. 二十五世 大智文雄 大和尚
泰智寺のご開山と歴住さんは右のとおりで、本堂正面に向かって右奥の「開山堂」におまつりして います。
いずれも当代のお歴々であったはずですが、御開山と十二世および二十三世以降の和尚様以外については詳しい来歴等は分かっていません。

御開山については當寺の記録に次のように記されています。

曰く「高伝寺において法を嗣ぐ。
而して天祐寺の開山にして有徳の師、當山中興州傳の本師なり。
且つ當寺本寺天祐寺の前住なり。
故にこれを請い開山とするなり。慶長十六歳示寂す。」

また、悟宗圭頓和尚(宗龍寺開山)→玲泉玄玻和尚(高伝寺開山)→珍翁正琢和尚(高伝寺二世)と続く師匠弟子の関係が記録されています。
天祐寺との本末関係は今はありませんし分からないことも多いのですが、想像を加えて次のように考えて良いかと思います。

ア、在室殊厳和尚は高伝寺二世(珍翁正珠和向)のお弟子さんであり、天祐寺と泰智寺の両寺の 開山である。
また宗龍寺の歴住さんに「二世中興在室知尚」の記録があるが同一人物と判断される。

イ、珍翁正琢和尚は宗龍寺御開山の法系であることから、宗龍寺→高伝寺→天祐寺→泰智寺というお寺の結びつきがあり、このことに伴って師匠と弟子という嗣法をめぐる人脈もあったことを思わせる。

ウ、実質的な開山は二世(州傳珠珍和尚)であり、在室殊嚴和尚はいわゆる「拝読開山」であること。
つまり、二世さんが謙遜されて天祐寺の開山であったご自分の師匠を招いて開山とされたらしい。
(右の内容については一部天祐寺の記録に依っています)

なお、在室殊嚴和向についてその生涯や功績等の詳細は、残念ながら不明です。

また、一二世(久山存泰和尚)は浅浦の元光寺の御開山であり天祐寺の一二世ですが、「勅賜仏鑑 大光禅師」を名乗っておられ、大変な方であったことが忍ばれます。