菩薩部(菩薩)

 
弥勒菩薩(みろくぼさつ)
菩薩部の筆頭は文句ナシの弥勒菩薩です。
なぜなら、彼は釈尊(現在仏)の次に仏(如来)となる事が約束されている未来仏だからなのです。
ですからもう既に、弥勒如来とも呼ばれる事があります。
ちょっとばかし気が早いですね。

さてこの弥勒がいつ仏となりますかというと、仏滅後56億7000万年後の事です。
いやー、もの凄い未来ですね。
地球の年齢をさらに超えちゃってます。
それまで、待てる弥勒もエライですが、釈迦も早く隠居してやればいいのに、イヤハヤどっかの旅好きご老公みたいですね。
ハテところで、地球がいつまで存続するのかは私にはわかりかねますが、もし地球が無くなっていたら弥勒仏は誰に説法するおつもりなのでしょうか。
タコのようにニョロニョロとした方々?それとも宇宙船を襲う凶暴な方々?
もしくは全長3メートル、恐るべき体臭を持つあの方ですかね?

さ、とりとめのない話は置いておいて、弥勒菩薩の説明に入ります。
弥勒とはサンスクリット語で「マイトレーヤ(妹怛隷耶)」の音写で、「慈」より生じた者の意です。
元は南天竺のバラモンの出で、後に釈迦の弟子となり、未来の仏を目指して、今なお兜率天(とそつてん)にて説法教化をしている尊いお方なのです。
仏としての働きは、釈迦の救済に漏れた人々を救うといわれます。

像容には異像が極めて多く、これといって決定できるものがないのですが、仏教伝播後間もない頃から半跏思惟(はんかしゆい)像が多く造られました。
弥勒菩薩と聞けば、大半の方はこの半跏思惟を思い浮かべられると思います。
どんな姿かわからない方は、ロダンの「考える人」を思い浮かべて下さい。
それでもわからない方は、その事について悩んで下さい。
おそらくその悩み抜いた姿がお探しの姿となるでしょう。

前述、仏像の種類、菩薩部でも書きましたが、弥勒菩薩像は、昔ある人があまりの美しさについ頬ずりをしてしまい、御指を折ってしまったという事件が起こる位、それはそれは美しいお姿なのです。

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
私はよく「知恵の文殊様」を拝観するのですが、一向に知恵がつかないのはどうしてでしょう。
と、知恵の象徴とされる「文殊菩薩」様です。

ちなみに実在の人物で、インド舎衛国のバラモンに生まれ、釈迦の弟子となった方です。
仏滅後は仏典の結集(けつじゅう)に関与し、雪山や清涼山(五台山)に留まり法を説くと信じられています。
そのため、中国では「旧華厳経」に説かれ、山西省五台山が文殊の聖地として古くから信仰を集めています。
日本に文殊信仰をもたらしたのは円仁(最澄の弟子)です。
このころから、僧形文殊と呼ばれる像が造られ、それを寺院生活における戒律と、智慧の師表(手本となるもの)としていたそうです。

なんかカタい話が続きますね。
私の能力不足とネタの無さが為させる所業なのですが、強引にネタを引き出します。
先程から、「知恵」や「智慧」という漢字を使い分けていますが、この違いが解るいい男ですか?(意味不明)
実は・・・・・一緒ですばばーん)。
・・・・・イヤ、タメも擬音も必要ない位あっさりと・・・・・
これじゃあネタにならないので補足をば。
仏教系で使う場合は「智慧」を。その他は「知恵」です(どどーん)。
・・・・・すんません。本格的にネタ不足です。
5行上の話を「これは実話です・・・・・。実は・・・・・」としておいた方がよっぽどネタとして通用したかもしれませんね。
少々、使い古されている感はありますが。
・・・・・強引に下らない話題を入れるよりか、先に進んだ方がマシという事が判明致しました。

文殊菩薩を図像で現す場合、曼陀羅上では、胎蔵界曼陀羅の中台八葉院の西南隅ならびに文殊院の主尊として描かれます。形はいっぱいあるのでここではやりません。

曼陀羅以外の像の場合、文殊は大抵、獅子に乗っています。
正確には獅子にあぐらをかいて座っています。イヤ座れないってフツウ・・・・・
もう一つの特徴として、図像の多くは五髻です。
「髻(けい)」というのは仏の頭の盛り上がった部分の事で、それが5つあるという事です。
そしてだいたい、釈迦の脇侍として、後述する普賢菩薩と対になっています。
その他には、先に挙げた僧形を為したもの(僧形文殊)や、稚児形(稚児文殊)も見受けられます。

文殊は、八大童子という眷属を持つ事もあり、それは、
計段尼(けしに)、烏波計段尼(うばけしに)、救護慧(くごえ)、光網(こうもう)
地慧(ちえ)、無垢光(むくこう)、不思議慧(ふしぎえ)、請召(しょうじょう)
となっています。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)
前述の文殊菩薩が獅子に座しているのに対し、こちらの普賢菩薩は白象に座しています。ぱおーん。
ライオンでも象には敵わないといいますから、文殊より普賢の方が強いんでしょうか。
いやいや、こういう「どっちが強いんだ」的な幼稚すぎる発想はいけませんね。

でもここで寄り道。
幼かりし頃、「カマキリクワガタどっちが強い?」と思い、一緒のケースに入れた事がありました。
どちらも記憶が曖昧ですが、カマキリは10cm位クワガタはスイギュウかヒラタの5cm位だったと思います。
さあ、どちらが真の勝利者となり得るか。文字通り異種格闘パンクラチオン。
ラウンド1スタート!カーン!
いや、一人盛り上がっといてなんですけど、カマキリは肉食、クワガタは樹液食という事を考えれば、自ずと答えは導き出せるのですが・・・・・(当時の私はそんな事考えてもいなかったです。)
はい、結果は予想通りカマキリに軍配が上がったんですけど、当時、友人の誰も信じてくれなかった事がひとつ、なんとそのカマキリ、クワガタのあの固い殻をバリバリと美味そうに食らっておりました
柔らかい腹の方ではなく、殻のある背の方から、それはもうムシャムシャとお召し上がりになりました。(目撃者談)
・・・・・お食事中の方、若しくは真面目に仏像の話だと思って来た方本当にすいません。
クワガタの話題が出た事でもう一つ。
スイギュウって格好はいいけどやたら弱いです。ヒラタと一緒に入れていると確実にやられます
でもそのヒラタですら敵わないのがミヤマ。コイツめちゃめちゃ強いです。
ヒラタを含めカブトムシや他のクワガタを入れていたケースがたった一匹のミヤマに全滅させられた事もあります。
オオクワガタや外国産のクワガタには明るくないのですが、密かにミヤマこそ世界最強のクワガタとか思っているんですけど実際の所はどうなんでしょうね?

さ、普賢菩薩のお話です。
普賢菩薩はあらゆる仏国土にあらわれて教化に当たるとされます。
文殊と普賢はそれぞれ、「智の文殊」「行の普賢」として、釈迦の脇侍にあたる、特に重要な菩薩として信仰を集めています。

「法華経」では普賢菩薩の周りに十羅刹女を配する事があります。十羅刹女とは法華経護持の十羅刹を天女形に描いたもので、唐装、和装であらわされます。
尼藍婆(にらんば)、毘藍婆(びらんば)、曲歯(きょくし)、華歯(かし)、黒歯(こくし)、多髪(たはつ)
無厭足(むえんそく)、持瓔珞(ぢようらく)、皐帝(こうてい)、奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうせいき)
の十人です。

普賢延命菩薩(ふげんえんめいぼさつ)
普賢菩薩が密教の延命法の本尊として招請された姿です。
要は「普賢菩薩と同一人物なんだけど、密教ではこう呼んだ方が格好いいぞ」という訳です。
同じ仏でも呼び名が違ったり、なんてややこしいんでしょうね。
今の世の中、万人に解るようになんでも簡略化されているというのに・・・・・
しかし、だからといって行き過ぎの簡略化はいただけません。

一時期、学校教育において円周率3.14を「3」としようとする動きがありました。
いくらなんでもこれはやりすぎじゃあないですか?
では、なんですか、ルート5は「2」ですか?富士山麓も真っ青ですね。
「ひとよひとよ」も「人並みに」も「1」ですか?
じゃあ、そもそもルートなんかいらないじゃあないですか。
実際どうなったのかは知りませんが、本当にこんな教育してたら、怒るで、しかし!
学力低下のさけばれる世の中ですが、追い打ちを掛けてどうするんでしょう。
こんな事じゃあ、真面目に小数点以下を覚えてきた私たちの立つ瀬がありません。
・・・・・論点がずれた所で次行きます。(念のため、ルートの方は作り話ですよー。)

普賢延命菩薩の図像には、二臂像(腕二本)と二十臂像(腕二十本!)があります。
二臂像は童子形で、頭が三つある象(類、キングギドラ)に乗っています。
二十臂像は黄金色の身体をしており、四匹の象に乗っています。
ちなみにこの四匹の象の頭には、後述する四天王が乗っています。

金剛薩た(「た」は捶がつちへん)(こんごうさった)
「ストロング金剛が去った」のではありません。

冒頭から訳のわからない出だしですいません。
「た」の漢字が出てこなくて字感のしまらない仏さまです。金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ)ともいいます。
金剛とは「ダイヤモンド」や「金剛杵(武器)」のように、優れていて貴重なものを意味します。
後ろの「さった」は「生きとし生けるもの」の事です。
故に「金剛薩た」は「非常に優れた存在」という事です。
密教において、きわめて重要な仏さまです。しまらないなどといったらバチが当たります。
「言ったのはアンタじゃ!」という申し出は却下します、当然。

密教において重要というのは、この仏が胎蔵界曼陀羅金剛手院の主尊であり、金剛界曼陀羅は、曼陀羅の名前からわかるように、「金剛薩た」のための曼陀羅であるからです。
また普賢菩薩と同体とされ、普賢金剛薩たと呼ばれる事もあります。

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)
虚空蔵とは菩薩の徳をなにあらわしたものであり、密教の教主である大日如来の働きのうち、「虚空」のように何者にも打ち破られない力と、全ての人々に利益安楽を与え、広大無辺の功徳を包蔵している「蔵」という特性の合わさった菩薩であります。
それ故、虚空蔵菩薩は金剛界大日如来、地蔵菩薩は胎蔵界大日如来で両者同体といわれています。
日本には最初、「求聞持法(ぐもんじほう、この菩薩を念じて記憶力を得る法)の虚空蔵が大安寺慈律師が718年(養老二年)に唐から招来され、善議、勤操、空海と相承されました。
空海が真言密教を開くにあたった記念的な菩薩なのであります。
凄いですね、面白いですね、それでは皆さん、さよなら、さよなら、さよなら。

・・・・さよならしません。
危うく映画解説者になる所でした。いや〜、ホントっ、映画っておもしろ・・・・しつこいですね。
しかし、後者の水野さんの罪悪は相当なものです。
皆さんは「ききいっぱつ」って漢字で書けますか?そこ、漢字変換を使ってはいけませんよ。
2割程度の方が「危機一発」と書いたことでしょう。
これでは、ファイトーいっぱぁぁぁぁつ!になってしまいます。
危機一髪、正解はこうです。でなくです。
この間違いやすい漢字ベスト100にも選出される危機一発」を作ったのが水野さんなのです。
007の映画タイトルかなにかの、危機一髪という文字に、拳銃の一発をもじったのがそもそもの始まりです。
いったい何人の受験生が泣かされたことでしょう。嗚呼、遠い過去の思い出です・・・・ルルルー。
ちなみに何故「」かと申しますと、「一本の髪の毛で重いものを引いて、今にも切れそうな非常に危険な状態」をあらわしているからなのです。髪の毛が危機一髪な方には失礼なお話でした。(さらに失礼)

しかし、まだまだ髪の毛話は続きます。
さて、髪の毛一本でどの位の重さを持ち上げられると思いますか?
個人差もありますが、一本でおよそ150gを持ち上げる事が可能です。
日本人の髪の毛の量は平均十万本といわれていますので、人一人の髪の毛で15トンのものを持ち上げる事が出来ます。
そんな重さを持ち上げる事は、ボブ・サップでもとうてい無理な話です。
けれど、頭から髪一本を引き抜くのに要する力はわずか50gで、それこそボブ・サップに力一杯引っ張られたら、根こそぎ持っていかれる危険性があります。
皆さん、どうかボブ・サップに髪の毛を引っ張られないよう、お気を付け下さい。

さてさて、虚空蔵菩薩に話を戻しますと、先の求聞持法の本尊は醍醐寺本白描図像によって伝えられています。
その像容は、「大月輪(だいがちりん)中五仏宝冠を戴き、左手に如意宝珠を安じた蓮華をとり、右手は与願印を結び、月輪中に頭光、身光から3本ずつの筋光明を放つ」姿です。
そして求聞持法の虚空蔵に対して、虚空蔵法の本尊は、「左手掌に宝珠をのせて胸前におき、右手与願印を結ぶ姿であらわされます。
また胎蔵界曼陀羅の虚空蔵院の主尊は右手に剣、左手に蓮華をとり、同釈迦院では釈迦の後ろにあり、金剛界においても賢劫十六尊中の一つであります。
その他にも持物の相違する異像は多くあります。

五大虚空蔵菩薩(ごだいこくうぞうぼさつ)
五大虚空蔵とは、金剛界の五智如来(大日、阿シュク、宝生、無量寿、不空成就)が各宝部の三昧に往した相であるといわれ、また虚空蔵菩薩の五智を開いて五尊にしたものであるともいわれます。
五尊の名や像容には異説あり、一定はしていません。
五尊は、白色法界虚空蔵黄色金剛虚空蔵青色宝光虚空蔵赤色蓮華虚空蔵黒紫色業用虚空蔵です。

ついでに色々な五大を集めてみました。

日本五大桜---大正11年に国が指定した天然記念物の5本の桜
石戸蒲ザクラ(いしとかばざくら)---埼玉県北本市
三春滝ザクラ(みはるたきざくら)---福島県田村郡三春町
山高神代桜(やまたかのじんだいざくら)---山梨県北巨摩郡武川村
狩宿の下馬ザクラ(かりやどのげばざくら)---静岡県富士宮市
根尾谷淡墨ザクラ(ねおだにうすずみざくら)---岐阜県本巣郡根尾村

五大栄養素---体に必要な栄養素を大きく分けて
糖質---エネルギー源
脂質---体温の元
たんぱく質---血や筋肉を形成
ミネラル---骨や歯をつくる
ビタミン---身体の調子を整える

世界の五大ウイスキー---ラテン語ではアクアヴィテ(生命の水)
スコッチ---イギリス
アイリッシュ---アイルランド
アメリカン---アメリカ
カナディアン---カナダ
ジャパニーズ---日本

五大シャトー---ボルドー産、憧れの上手いワイン
シャトー・ラトゥール---Chateau Latour
シャトー・ラフィット・ロートシルト---Chateau Lafite Rothschild
シャトー・ムートン・ロートシルト---Chateau Mouton Rothschild
シャトー・マルゴー---Chateau Margaux
シャトー・オー・ブリオン---Chateau Haut Brion

五大文明---四大文明は習ったけれど???
エジプト文明---ナイル川
インダス文明---インダス川
メソポタミア文明---チグリス・ユーフラテス川
黄河文明---黄河
アンデス文明---アンデス高地

目に効く五大食品---詳しくは各自お調べ下さい。
ルテイン---ほうれん草やケール、キャベツ、トウモロコシに含まれる。
ブルーベリー---アントシアニン、有名ですね。
めぐすりの木---なにそれ???
ヤツメウナギ---ウナギといってもウナギではない。
カシス---カシスをルテインと共に採ると、さらに効果アップ!

五大藤子不二雄作品---苦情不可。
ドラえもん---当然。
チンプイ---いーんです。
エスパー魔美---面白いんです。
パーマン---コピーロボットが欲しい今日この頃。
忍者ハットリ君---っのまっき。
プロゴルファー猿---あれ、6つ・・・
オバケのQ太郎---空条Q太郎。
笑ウせえるすまん---どーーーん。
21エモン---えーと。
モジャ公---えーーーと・・・
TPぼん---忘れちゃあイケナイ名作。
魔太郎がくる!!---ウラミはらさでおくべきか。
怪物君---フンガーフンガーフランケン。
キテレツ大百科---ナリ〜。
ハリケーン・ロックの決闘---この辺になると、マニアの域。
 

探せば他にもありそうですが、きりがないのでここまで。

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
馴染みならナンバーワン、お地蔵さんです。
本来密教的にいえば、大地が万物を育成する徳を仏格化したものであり、虚空蔵に対して考えられたものとされます。
通仏教的には、釈迦仏以降弥勒仏が出世するまでの56億7千万年の期間に出現し、六道の衆生を救う菩薩とされます。
我々がよく目にする姿、声聞形(比丘形)像は唐代に中国で作られたものであるといわれます。
日本では平安時代中頃から鎌倉時代にかけて、広く信仰され、庶民の生活に密着し今にいたっています。

密教での像容は、現図胎蔵界曼陀羅地蔵院の主尊として、菩薩形で左手に幢(とう)、右手に宝珠をとる姿であらわされ、金剛界では南方四親近(ししんごん)の金剛幢菩薩に相当するとされます。
しかし、前述のとおり、比丘形の方が一般的となっています。
そちらの像容は、今昔物語中の地蔵など、造像異像山ほどあり一定していません。
六波羅蜜寺には、綺麗なお顔のお地蔵様がおりますね。

竜樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)
この菩薩は、西暦2、3世紀頃に南天竺に生まれ、真言密教の祖とされる竜猛(竜樹、ナーガールジュナ)を菩薩として信仰したものと考えられています。
像容は地蔵菩薩に酷似し、比丘型にて合掌する形であらわされます。
竜樹は大智度論などのような大乗部の経典を著し、般若空思想を確立し、大乗仏教の基礎をきずいたなかなかのお人で、密教、顕教(けんぎょう、密教以外のすべての仏教を含む)を通じての祖師であるといわれています。
大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)
聖観音とともに、阿弥陀如来の脇侍を務める、極楽浄土の一生補処(いっしょうふしょ、弥勒のように菩薩の最高位にして、次には仏となれる者)の菩薩です。
身相すべて観音と同じですが、ただ冠中に宝瓶を持ち、その標識とします。
そして、浄土変相図の場合蓮華をとり、来迎図では合掌します。ナム〜。
これほど、観音に瓜二つの由緒正しき大勢至菩薩ですが、何故か独尊としての信仰はほとんどありません。
不遇な方です。
イヤイヤ、最高位の菩薩たる者、そのようなあさはかな考えを抱く事はないでしょう。あさはかたるは尾籠なる人間のみ。
日光菩薩、月光菩薩(にっこうぼさつ、がっこうぼさつ)
もっとも一般的な、薬師如来の脇侍を務める菩薩で、薬師瑠璃光浄土中の代表的二菩薩として説かれます。
持物は一定していませんが、手に日輪、月輪を持つ場合にはこの菩薩ということがわかります。
密教において現図胎蔵界曼陀羅除蓋障院に、左手、蓮花茎上に宝珠を頂く日光菩薩、同文殊院中に右手蓮花茎上に半月、左手に蓮花を持つ月光菩薩があり、また金剛界曼陀羅中の賢劫十六尊中にも右手に月輪を持つ月光菩薩があります。
ちなみに、薬師寺の薬師如来の両脇侍としての日月光は印相をとるだけです。

まったくの余談となりますが、月光菩薩で思い出した事がひとつ。
平凡で、ありきたりなこと」を「月並」と表現しますね。
この「」は「お空のおさま」ではなく、1月、2月・・・と数字の羅列である「月並び」の事なんですね。
いやぁ、知りませんでした。月って星座と違い、一年中出ているからかと思っていました。
ところで、月といえば、陰暦では1月から順に、睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走です。ここで、神無月ですが、陰暦十月には八百万(やおよろず)の神が出雲大社に押し掛けそれぞれの地を留守にするので、神の居無い月、すなわちなのです。ですから、この月出雲ではとなります。
などと、したり顔で講釈しておりますが、私も何かの本で読んだだけの所謂眉唾物の話ですので、話半分に聞いておいて下さい。

薬王菩薩、薬上菩薩(やくおうぼさつ、やくじょうぼさつ)
釈迦如来の両脇侍として作られる事の多い菩薩さまです。
薬師本願教によれば、日光、月光菩薩とともに薬師八大菩薩の中におかれます。
この菩薩達の由来は、「その昔、兄弟の二長者がおり、良薬をもって一切衆生に施し病苦を救った。この二人が薬王、薬上の二菩薩である」とされます。
像容には特に定型はありませんが、八大菩薩としての場合、薬王菩薩は薬草と薬壺、薬上菩薩は薬壺のみを持ちます。
転法輪菩薩(てんぽうりんぼさつ)
正式には、纔発心(さいはつしん)転法輪菩薩と呼ばれる、「さい」の字が異様に難しい菩薩さまです。
密教の八大菩薩の一にして、弥勒菩薩と同体とされ、また仁王教儀軌では金剛波羅密多菩薩とも同体とされています。
手に金剛輪、または蓮花上宝珠を持つ像容であらわされます。

この転法輪菩薩の眷属で密教諸法の護持にあたる十六大護(じゅうろくだいご)なる方たちもいます。
十大薬叉に、毘首羯摩(びしゅかつま)、迦比羅(かびら)、法護(ほうご)、肩目(けんもく)、広目(こうもく)、護軍(ごぐん)、珠賢(しゅけん)、満賢(まんけん)、持明(じみょう)、阿た縛倶(あたばく)
三大竜王に、縛蘇枳竜王(ばすきりゅうおう)、蘇摩那竜王(すまなりゅうおう)、補沙毘摩竜王(ふさひまりゅうおう)
三大天后に、訶梨帝母(かりていも)、翳羅縛蹉(えらばさ、「羅縛」にはくちへんが付きます)、雙目天后(そうもくてんごう)
以上合わせて、十六大護と呼びます。

大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)
大随求とは大自在という意味です。
古来真言密教では随求関係の多くの陀羅尼(梵文の呪文)が伝えられ、これを唱える者は苦難を免れるといわれ、広く信仰されました。特に平安時代には盛んに信仰されています。
その像容は、円満具足(十分に満ち足りていること)の菩薩の相に八手を備え、特徴は般若菩薩(後述)に似てその一手に梵篋(ぼんきょう、箱)を持ち、中央の二手には五鈷杵および蓮花上法輪を持ちます。
胎蔵界曼陀羅においては蓮華部院の中央上段に位置されます。
馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)
馬が鳴いて「ヒヒン」。そんな馬鳴菩薩さまです。
資料によると、「インドに実在した馬鳴菩薩ではなく、貧窮の衆生に衣服を与える菩薩として祭られる養蚕機織の尊」らしいということです。

この「貧窮の衆生に衣服を与える菩薩」という所だけ聞くと、グリム童話の「星の銀貨」というお話を思い出します。
どんな話かと申しますと、貧しいけれど心優しい女の子が、自らの貧しさにもかかわらず、困っている人たちに自分の持ち物を与えていく、というお話です。そう、最後には身に付けている肌着さえも。そのけなげさに感動した神様が星を銀貨にして降らせ、最後には女の子は幸せになります。
・・・・・ちょっと待って下さい。この神様、なんで最後まで見てたのでしょう。もっと早く、助けてあげればいいのに。
と、いい話が台無しな詮索はよしましょう。
余談ですが、台無しといえば、先程の「困っている人たち」というフレーズの変換で「困っている一太刀」と変換されてしまいました。ある女の子が、困っている人たちを一刀のもとにバッサバッサと・・・・・。確かに台無しです

こういうくだらない事ばかり書いているので、このコーナーはイマイチ人気がナイのです。いっその事、他の仏像サイトのようにお堅く、生真面目に取り組んでみようかとも思いますが、それだと二番煎じでしかなく、質、量ともに敵うハズがありませんし、そもそもの仏像に興味のない方でも楽しんで貰おうという本懐を大きく逸脱してしまいます。アイデンティティの喪失です。
などと、くだを巻いた所で、一番の原因である私の頭の中身が変わろうハズもなく、人生おもしろおかしくを旗印にいつもの調子で続けさせていただきます。あしからず。・・・ああっ、皆様の白い視線が突き刺さる・・・
さ、話を戻します。

馬鳴菩薩の元は、中国の民間信仰に由来しますが、普及したのは仏教的な信仰からです。
その像容は、馬にまたがり脇侍を従えて雲上を緩歩する、六臂の菩薩形であらわされます。
乗馬の周辺の脇侍達は、蚕室、蚕命、蚕印、蚕母等の諸童子、その前方に唐服を着た啓請供養の一弟子が合掌して立つこともあります。

般若菩薩(はんにゃぼさつ)
梵名般若とは知恵という意味であり、その思想を象徴した般若菩薩さまです。
その性格からきわめて教理的存在であったため、独立した信仰は後期インド密教の仏母の展開までみられることはなく、日本では信仰はありません。
大日経では説かれていませんが、胎蔵界曼陀羅では持明院に安ぜられます。これは、持明院が土壇曼陀羅では般若経を読誦する阿闍梨の場所に相当するためといわれています。

像容は、三目円満の相で甲冑を着込み、第一手左梵篋(般若経)、右説法印、第二手左右とも三鈷印、第三手左三摩地の印相、右与願印をとります。虚空蔵院では羯摩衣を着る二臂像、左利剣、右大頭中指を屈する印を結び慧波羅密菩薩といいます。

大般若経を守護する護法善神に十六善神なる方達がいます。これらを釈迦三尊あるいは、般若菩薩とともに描いた画幅は大般若会本尊とされます。この中に、梵天、帝釈天を加えて十八善神ということもあります。
提頭頼宅善神(だいとらだぜんじん、持国天)、毘盧勒叉善神(びるろくしゃぜんじん、増長天)、摧伏毒害善神(さいふくどくがいぜんじん)、増益善神(ぞうやくぜんじん)、歓喜善神(かんきぜんじん)、除一切障難善神(じょいっさいしょうなんぜんじん)、抜除罪垢善神(ばつじょざいくぜんじん)、吠室羅摩拏善神(う゛ぇしらまぬぜんじん、多聞天)、能忍善神(のうにんぜんじん)、離一切怖畏善神(りいっさいふいぜんじん)、毘盧博叉善神(びるばくしゃぜんじん、広目天)、摂伏諸魔善神(しょうふくしょまぜんじん)、救護一切善神(くごいっさいぜんじん)、獅子威猛善神(ししいもうぜんじん)、能救諸有善神(のうくしょうぜんじん)、勇猛心地善神(ゆうもうしんじぜんじん)
この他に、阿難(あなん)、玄奘(げんじょう)、深沙大将(じんじゃたいしょう)などを加えることもあります。

五秘密菩薩(ごひみつぼさつ)
乙女の五つの秘密を持った、謎多き方々です。嘘です。ごめんなさい。

「衆生の断ち難い欲触愛慢は、全てこの真実菩提の相である金剛薩たと同体である」といわれ、きわめて甚深秘密の教理的内容を示すので、この名前が付けられました。
像容は、五尊の菩薩からなっており、中央金剛薩たで五仏宝冠に右手五鈷杵、左手五鈷鈴をとり、他の四尊はそれに寄り添うように配置されます。右前方の欲金剛は弓を射、その後ろの触金剛は金剛薩たを抱き、左前方の慢金剛は二手金剛拳をなし、その後ろの愛金剛は摩羯魚幢をとります。

五秘密法は敬愛法として、また諸法悉地成就の法として修法されましたが、現在残っている遺品はあまりありません。
しかし、金剛界曼陀羅の理趣会、理趣経十八会曼陀羅でも同尊は主要な位置を占めています。

五大力菩薩(ごだいりきぼさつ)
五秘密の次は五大力です。三大ナニナニとか五大ナニナニが好きな所は、昔も今も変わらないようです。

鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の「旧訳仁王教」には、「諸国王にして三宝を受持するならば、五大力菩薩が往いてその国を護るであろう」と説かれています。
五大力とは、金剛吼菩薩(こんごうくぼさつ)、竜王吼菩薩(りゅうおうくぼさつ)、無畏十力吼菩薩(むいじゅうりきくぼさつ)、
雷電吼菩薩(らいでんくぼさつ)、無量力吼菩薩(むりょうりきくぼさつ)、の五菩薩です。
全て文字に「吼」が付く、やたらと吼えている菩薩なので、五大力吼とも呼ばれます。

そして、仁王教に旧訳があるということは新訳もあるわけで、不空訳の新訳仁王教では、名前、像容ともに全く異なっています。
まず新訳では、五方菩薩といい、諸尊として憤怒形の五大明王を配するようになっています。

中、金剛波羅密多菩薩(こんごうはらみつたぼさつ)(大日如来、転法輪菩薩、不動明王)
東、金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ)(阿シュク如来、普賢菩薩、降三世明王)
西、金剛利菩薩(こんごうりぼさつ)(阿弥陀如来、文殊菩薩、大威徳明王)
南、金剛宝菩薩(こんごうほうぼさつ)(宝生如来、虚空蔵菩薩、軍荼利明王)
北、金剛薬叉菩薩(こんごうやしゃぼさつ)(不空成就如来、摧一切魔菩薩、金剛薬叉明王)
以上、五方菩薩のみなさんでした。

仁王教は、空海により招来されましたが、これは新訳であると考えられています。
しかし、実際には旧訳の五大力吼を本尊とした修法が伝えられているようです。
どこかで、ごっちゃになってしまったのでしょうかね。

賢劫十六尊(けんごうじゅうろくそん)
密教において、過去未来現在の三世三千仏のうち千仏を賢劫千仏といい、その上首である十六仏が賢劫十六尊とされています。
それらは菩薩形の像容をなし、それぞれ異なる持物を持ちます。

弥勒菩薩軍持)、不空見菩薩(ふくうけんぼさつ)(蓮華根)、捨悪趣菩薩(しゃあくしゅぼさつ)(梵篋)、
摧憂悩菩薩(さいゆうのう)(三股杵)、香象菩薩蓮華)、勇猛菩薩(ゆうみょうぼさつ)()、
虚空蔵菩薩宝光)、智幢菩薩(ちとうぼさつ)()、無量光菩薩蓮花)、月光菩薩半月幢)、
賢護菩薩宝瓶)、光網菩薩網傘蓋)、金剛蔵菩薩独鈷)、無尽意菩薩梵篋)、
弁積菩薩(べんしゃくぼさつ)(華雲)、普賢菩薩五智印

二十五菩薩(にじゅうごぼさつ)
阿弥陀来迎に従うといわれる、二十五の菩薩です。
由来は、中国において成立した十往生経によるものとされますが、感無量寿経にはこの諸尊は説かれていません。
ただし、十往生経をうけた源信(恵心)による往生要集、さらには二十五菩薩和讃の成立で、この考えは普遍化しています。

この二十五菩薩を従えた阿弥陀来迎図を阿弥陀二十五菩薩来迎図と呼ぶ事が多いのですが、実際に正しく二十五菩薩を描いているものは少なく、聖衆来迎図と呼ぶ場合もあります。
正確にこの二十五菩薩を描いてあるものの1例に、知恩院来迎図があります。
その他には、ほぼ等身大の彫刻として即成院の二十五菩薩像もあります。

観世音菩薩大勢至菩薩薬王菩薩薬上菩薩普賢菩薩法自在菩薩獅子吼菩薩陀羅尼菩薩虚空蔵菩薩
徳蔵菩薩法蔵菩薩金蔵菩薩(こんぞうぼさつ)、金剛蔵菩薩光明王菩薩山海慧菩薩(さんかいえぼさつ)、
花厳王菩薩(けごんおうぼさつ)、珠宝王菩薩月光王菩薩日照王菩薩三昧王菩薩定自在王菩薩
大自在王菩薩白象王菩薩大威徳王菩薩無辺身菩薩(むへんしんぼさつ)




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