菩薩部(観音)

 
菩薩部(観音)と題しましたのは、観音菩薩が大乗仏教を代表する菩薩でありまして、後の密教においてこの観音の変化身が次々と生み出されたため、観音と菩薩を区別して考える事もあるからです。

では、観音を見ていきましょう。

聖観音(しょうかんのん)
前述しました、観世音(かんぜおん、略して観音)菩薩の事です。
変化しない本来の姿の観音の事です。「聖」の字は「正」なのです。
ところで、オバケのQ太郎に登場する男の子は「正ちゃん」じゃなかったですかね。(違ったらごめんなさい)
とすると、オバケという「闇」に対する「聖」ですか。
さすが藤子不二雄先生、奥が深い。小生、感服致しました。

ちなみに、観自在菩薩ともいいます。
「一切の衆生を観察しこれを救う事、自在である。」というものです。

この観音を説く経典は、観音はその性格から3つに分ける事が出来ます。
まずは、阿弥陀経や感無量寿経が説く、阿弥陀如来の脇侍としての観音。

ここで話は大きく変わりますが、今、「かんのん」と打とうとして「かんなん」と打ってしまいました。
これでは「艱難(かんなん)辛苦を与えたまえ」と山中鹿之助になってしまいます。
与えて欲しくはありません。
ところで皆さん、この山中鹿之助を筆頭とする尼子十勇士の存在をご存じでしょうか。
山中鹿之助秋上庵介(あきあげいおりのすけ)、横道兵庫助上田早苗助尤道理介(もっともどうりのすけ)、深田泥介(ふかたどろのすけ)、荒波碇介(あらなみいかりのすけ)、破骨障子介(やぶれぼねしょうじのすけ)、早川鮎介(はやかわあゆのすけ)、藪中茨之助(やぶなかいばらのすけ)、の十人です。
この十人は一定してなくて寺元生死介(てらもとせいしのすけ)が入っていたりします。
変な名前が多いですね。そして真田十勇士パクリっぽいですね。それもそのはず、後世の創作ですから。
しかし、上田早苗助までは実在が確認されているそうですから、他にも実在した人がいるかもしれませんね。
ついでですので、真田十勇士もあげときます。
猿飛佐助霧隠才蔵三好清海入道三好伊三入道海野六郎望月六郎穴山小助根津甚八由利鎌之助筧十蔵、以上十人です。

今ふと気付きましたが、ここは仏像のページでした。
バチがあたり、艱難辛苦を与えられては困りますので話を戻します。

観音の残り2つの性格でしたね。
2つ目は、法華経普門品などに説かれる、現世利益的の観音です。

最後は密教系の観音で、胎蔵界曼陀羅の観音院(大日如来達のいた中台八葉院の左側)に位置する観音です。
共通する特徴として、宝冠に阿弥陀如来の姿が見受けられます。

ちなみに、法隆寺にある、悪夢を良い夢にしてくれる、夢違(ゆめたがい)観音も聖観音です。

十一面観音(じゅういちめんかんのん)
頭頂に十の顔を持っており、本体の一面と合わせて「十一面」というわけです。
前の観音信仰の中でヒンドゥー教の影響を受け、最も早く変化した観音です。
何故十の頭を戴いているかというと、観音の「あらゆる方向(十方)に顔を向けたもの」という能力をあらわしたものといわれています。
この十一面には各々性格がありまして、正面三面が慈悲面、左三面に瞋怒(しんぬ)面、右三面に狗牙上出(くがじょうしゅつ)面、後に暴悪大笑面、頂上に阿弥陀仏面となっています。
それにしても、暴悪大笑面。暴悪大将かと思ってしまいました。とても悪そうです。
いや、そうではなく私の頭の方が悪そうですね。反省します。反省だけなら猿でも出来たのはいつの話でしょうかね。

なお、胎蔵界曼陀羅では、本面左右に各一面、その上に五面、三面と重ねた四臂(腕四本)像であらわされています。
このように小面も一段、二段、三段などのものもあります。

世の中には八方美人なる美人が多数存在しますが、この十一面観音の前では全て見透かされてしまうでしょう。
なんといっても八方では、十一方には敵いません。
ちなみにこの「八方美人」という言葉、「どの点から見ても、欠点のない美人」という意味もあるのですが、だからといって、自分は誉めているつもりであっても、「あら〜、奥サマはとても八方美人でらっしゃるわ」などと言ってはいけません。
言ったが最後、そこは修羅場と化すでしょう。あな、おそろしや。
そういえば、良く聞く話で、ある人が「君はとても気が置けない友達だ。」と言った所、相手から「なんだよ。そんなに俺が信用できないのかよ。」と激怒されたという話があります。
これを読んで下さっている皆さんには、いわずもがなの事でしょうが、「気が置けない」は「気詰まりでない」という意味で、いい言葉なんですね。
相手の彼は、「置けない」という否定と、「気」という言葉から、「気を許せない」と言われたと思ったのです。
日本語とは、ほんに難しいものですね。たとえ良い意味があろうとも、相手が知らなければなんの効力もありません。
カラスの濡れ羽色」の髪を持った皆様もお気を付けあれ。

不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)
「大海に漂う衆生を大悲の羂索(つな)によってことごとく救済してもらさない」という意味の名を持つ観音様です。
十一面観音の次にあらわれた変化観音です。
像容は多種多様ですが、日本では一面八臂が多く見られます。
また、額には、縦に一目あり三つ目となっております。これはヒンドゥー教のシヴァ神の影響といわれます。
三つ目と言っても通りません。かといって、天津飯でもありません。
意味のわからない方、ごめんなさい。さしたる意味はないのです。

ちなみに、福岡県太宰府市にある観世音寺高さ5メートル17センチ金色の不空羂索観音(重文)は、十一面観音形をなしています。
この観世音寺には、他にも4メートル98センチの十一面観音像、5メートル3センチの馬頭観音など、巨大な像があります。
お近くの方は行ってみられると面白いかもしれませんよ。
その際は、是非感想を聞かせて下さい。わたくし、行った事がありませんから。

千手観音(せんじゅかんのん)
千本の手と、その手に一眼、千個の眼を持った観音様です。
正しくは「千手千眼観自在観音(せんじゅせんげんかんじざいかんのん)といいます。
子供の頃、数人でぴったり縦1列になり、それぞれ手を別に動かして「ほ〜ら、千手観音」とかやりませんでした?
そうですか、やりませんか。先生ちょっぴり悲しいです。

この千の手と眼をもって、一切の衆生に手を差し延べて救うといわれ、慈悲の働きが無限である事をあらわしています。
平安時代には、この千手観音は、蓮華部(観音諸尊のグループ)の主尊(王)であるとされ、「蓮華王菩薩」とも呼ばれます。

さて、千手観音といえど、その像容に1000本の手を配した像は極めて希で、大抵は四十二臂につくられます。
ここで、電卓を取り出して下さい。算盤でも構いませんよ。
メインの二手を除いた左20手、右20手を合わせます。20+20=40です。
そして、1手で25有世界の衆生を救うといわれるので、前の合計に掛けて下さい。40X25ですね。
答えは出ましたか?そう、1000ですね。

電卓を取り出したついでにもうひとつ。
まず、1から9までの中で好きな数字を入力してみて下さい。
そしたら、それに「12345679」を掛けて下さい。「」をとばす事に気を付けて下さいね。
例えば、思い浮かべた数字が「2」の場合、「2X12345679」となります。
そうしたら一度、イコール(=)してみて下さい。
複雑な数字ですね。「2」の例ですと、「24691358」となっているはずです。
さて、その数字にさらに「9」を掛けてイコールしてみて下さい。最初の数は覚えていますね?
ホラ、とても不思議な事が起こったでしょう。
と、偉そうに言っていますが、私もどこかのサイトで見つけたものなので私の手柄ではありません。
おもしろかったので、勝手に掲載しました。

そろそろ千手観音に話を戻します。
千手観音には侍者として二十八部衆をあらわす事があります。
名前だけあげておきます。ただし、名前等、この限りではありません。
密迹金剛力士(みつしゃくこんごうりきし)、魔醯首羅王(まけいしゅらおう)、那羅延堅固王(ならえんけんごおう)
金毘羅王(こんぴらおう)、満善車王(まんぜんしゃおう)、摩和羅王(まわらおう)、畢婆迦羅王(ひっぱからおう)
五部浄(ごぶじょう)、帝釈天(たいしゃくてん)、大弁功徳天(だいべんくどくてん)、東方天(とうほうてん)
神母天(じんもてん)、毘楼勒叉天王(びるろくしゃてんのう)、毘楼博叉天王(びるばくしゃてんのう)
毘沙門天王(びしゃもんてんのう)、金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)、婆藪仙人(ばすうせんにん)
散脂大将(さんしたいしょう)、難陀竜王(なんだりゅうおう)、沙迦羅竜王(しゃからりゅうおう)、阿修羅王(あしゅらおう)
乾闥婆王(けんだつばおう)、迦樓羅王(かるらおう)、緊那羅王(きんならおう)、摩ゴ羅伽王(まごらかおう)
大梵天王(だいぼんてんのう)、金大王(きんだいおう)、満仙王(まんせんおう)

馬頭観音(ばとうかんのん)
「さあ今週も笑点の時間がやって参りました。司会の円楽です、どうぞ宜しく。」
違います。
よく見て下さい。馬頭であって馬面ではありません。
早合点しては困ります。早合点しているのは私ですか。それは困りました。

読んで字の如く、頭上に「馬頭」を戴く変化観音です。
起源はヒンドゥー教のビシュヌ神にあるといわれ、観音の中では唯一、憤怒形をとります。
その為、「馬頭明王」ともいわれます。

信仰の対象としては、六観音の一つとして畜生道に配され、庶民信仰を集めています。

像容の基本は、憤怒の形相をとり、三面六臂、頭上に馬頭を戴き、正面には化仏をあらわします。

如意輪観音(にょいりんかんのん)
如意宝珠(にょいほうしゅ)および法輪によって一切衆生の願いを叶えてくれる観音です。
如意宝珠とは、思いのままに物を出すといわれる珠の事です。
はあ、まるで四次元ポケットのようでありますなあ。
ご存じない方に説明しますと、四次元ポケットとは、思いのままに物を出すといわれる袋の事です。
しかし、四次元ポケットは思いのままとはチト違いますね。
こちらは、ラーメンのどんぶりやらいらない物が多数出てきますから。
え、四次元ポケットの出典ですか?
もちろん、我らがヒーロードラえもんですよ。
いやあ、近頃の漢字変換ソフトはたいしたもんです。「ドラえもん」が一発変換されます。

真面目に話を聞いて下さっていた方にはごめんなさい。

さて、仏法界のドラえもん、如意輪観音ですが、通常は一面六臂の坐像であらわされます。
希に二臂、四臂像などもあります。

この観音のさらなる特徴は、片膝を立て、右手を頬に当てて、物思いにふける(思惟)姿です。
いやあ、この憂いを帯びた美しい御姿は後述する弥勒菩薩にもひけをとりませんな。
元々、観音、菩薩は美しい姿をしておられますし、もし道などで、このようなお姿の方がいたら、フラフラと引き寄せられてしまいますね。
しかし、あと1mに迫るや否や、腕が六本ある事に気づき、やはりホラーな目に遭う事受け合いです。
いやいや、そんな失礼な。「畏れ多くも高貴な御姿に、近づく事すら叶わず。」と言い換えておきます。
熱烈なファンの方にこんな失礼が知れた場合、ホラーな目に遭うのはでしょうから。
という事で、仏法界のドラミちゃんに訂正します。

今回は「ドラえもんにおける如意輪観音の傾向と対策」をお送りしました。
あ、皆さん石を投げないで下さい。

准胝観音(じゅんていかんのん)
「七倶胝仏母(しちぐていぶつも)」、「准胝仏母」ともいい、母の字の示すように、無数の諸仏の母といわれております。
六観音の一つとして信仰される事もありますが、観音部、仏部にいれるかは説がわかれています。
しかし仏母の本来の意味からして、「女尊」グループに入るとの見方もあります。

像容は、一面三目十八臂が普通ですが、三十二臂、八十四臂像などもあり、千手観音と間違えられる事もあります。

六観音(ろっかんのん)
台密では、「聖観音」、「十一面観音」、「不空羂索観音」、「千手観音」、「馬頭観音」、「如意輪観音」を総称していいます。
東密では、「不空羂索観音」の代わりに、「准胝観音」が入ります。
毘倶胝観音(びくちかんのん)
毘倶胝というのは怒った時のシワという意味です。
観音が額にシワ寄せて怒った末に生じたのがこの毘倶胝観音です。
なにかと怒るような事が多い現代では、幾多の毘倶胝観音が生まれているのでしょうかね。
日本での独尊信仰はありません。
葉衣観音(ようえかんのん)
この字を見て私は「はごろも」だと思っていました。
正しくは「ようえ」です。「はごろも」は「羽衣」ですね。
「葉」ですと、天女の羽衣を見つけた時には虫食いだらけということになりかねませんね。
さて、この葉衣観音は独尊信仰もなく、像容も異説あるので詳しくは述べません。
文頭の話を行数稼ぎとは言わないで下さいね。
白衣観音(びゃくえかんのん)
観音中、もっとも女性的な優しさを持つのが、この白衣観音です。
そこから、息災除病、救児、安産の本尊ともされます。
曼陀羅上での姿は、左手に未開蓮華、右手に揚掌などの一面二臂、もしくは三面六臂像であらわされます。
この他、儀軌を離れたものとして、自然景の中に描かれたり、床の置物として表現される事もあります。

白衣観音と聞いて「どっかで聞いた事があるなぁ」と思った方は、少し前の少年ジャンプ通ですね。
違ったらごめんなさい。
そう「地獄先生ぬ〜べ〜」でぬ〜べ〜が使用していたのが白衣観音経でしたね。
にしてもなんでこんなマイナーなもの使っているんでしょう。

揚柳観音(ようりゅうかんのん)
薬王観音ともいわれます。
後述する三十三観音の筆頭で、衆病消除の信仰を持ちます。
像容は「右手に柳枝を持ち左手を乳上におく」らしいです。
多羅菩薩(たらぼさつ)
商店にて。
「これ幾ら?」「ううん、タラちゃん。」
・・・・・いえ、全く意味はないです。

多羅は観音の眼から放つ光明より生じたとされる眼精(眼力、眼の力)という意味です。
ですから、「菩薩部」ではなく「観音部」にて紹介しました。

胎蔵界曼陀羅ではその像容を中年の女天のように表現するのですが、なにゆえ中年なんでしょう。
これも熟女の魅力なのでしょうか。ウィ、マダ〜ム。
本当のところは、この菩薩を仏母として説く経も多いように、仏母的性格を展開しているからなのでしょう。
日本での独尊信仰はありません。

青頸観音(しょうきょうかんのん)
読んで字の如く、青い頸(くび)を持つ観音です。
この名はヒンドゥー教のシヴァ神が大洋を乳海とするため毒を飲んだ所、首が腐り青黒くなったことに由来します。
首が腐るなんてとてもホラーです。せめて首を治してから観音になって欲しかったものです。ホント最近の若い者は・・・・ブツクサ
阿麼提観音(あまだいかんのん)
そういえば、「アマダイ」の表記で売られていた魚は「キングクリップ」という外来魚だったそうですね。
その他には、「ギンムツ」はチリ産深海魚「メロ」、「スズキ」と名乗った「ナイルパーチ」、「クロカンパチ」は「スギ」、など経歴詐称(?)の魚はいっぱいあります。
その「アマダイ」とはなんの関係もない阿麼提観音の登場です。
でも、「キングクリップ観音」というのも格好いいですね。

この観音の最大の特徴は白獅子に乗っている事です。
白獅子ですよ。ジャングル大帝レオです。がおー。
こんなネタ前にもやった気がします。

像容で左手に摩竭魚(まかつぎょ)という魚を持っているのですが、案外これが「キングクリップ」なのかもしれませんね。

水月観音(すいげつかんのん)
「すいがつかんのん」と読んでも構いません。
水中の月を眺める姿にあらわされる観音様です。
古くより画題として描きあらわされているようです。

水月と聞いて「みぞおち」と読んだ方、貴方は格闘技通ですね。
「みぞおち」は「水落ち(みずおち)」の訛った言葉で「鳩尾」と書きます。
ところで格闘技の世界では、なんで「水月」と書いて「みずおち」と読ませるんでしょうね。
どなたか知っておられる方、お教え下さい。

魚籃観音(ぎょらんかんのん)
昔、ある所に魚商(さかなうり)の美女ありけり。
街に入りては魚を売りつつ、万の事に使いけり。
名をば、観音の化身となん言いける。

いや、名前が「観音の化身さん」という訳では無いですけど。
この観音の「唐代の魚商をしていた美女が、実は観音の化身であった」という伝説から信仰が流行したというお話です。
そのため像容は、魚入れた籠を持ったり、魚そのものに乗る姿であらわされます。

余談ですが、ご存じの通り、上の話は「竹取物語」をもじったものですが、学生時代「名をば、さかきのみやつことなん言いける。」を「名を、ばさかきのみやつこ・・・」と読んだ友人がいました。
それ以来、私の中で「さかき」さんは「ばさかき」さんになってしまいました。
こういう、くだらないマイブームって、皆さんもありませんか?

馬郎婦観音(めろうふかんのん)
昔、ある所に馬商の美女・・・・・違います。
馬を売っていた訳ではありません。
上記の魚籃観音と同様、魚商をしていた美女が観音の化身であったという伝説から派生した観音です。
おや、では名前の「馬」はなんでしょう?
これはこの美女が「馬氏」に嫁いだからなのです。
ということは、「野」さんに嫁いでいたら「野郎婦観音」になっていたのでしょうか。
男か女かわかりませんね。
おっと、観音はもともと中性でした。
三十三観音(さんじゅうさんかんのん)
法華経に説く、観音からの三十三の変化身をもとにした観音達です。
ざっと名前のみ紹介します。

揚柳観音(ようりゅうかんのん)、竜頭観音(りゅうずかんのん)、持経観音(じきょうかんのん)、
円光観音(えんこうかんのん)、遊戯観音(ゆうげかんのん)、白衣観音(びゃくえかんのん)、
蓮臥観音(れんがかんのん)、滝見観音(たきみかんのん)、施薬観音(せやくかんのん)、
魚藍観音(ぎょらんかんのん)、徳王観音(とくおうかんのん)、水月観音(すいげつかんのん)、
一葉観音(いちようかんのん)、青頸観音(しょうきょうかんのん)、威徳観音(いとくかんのん)、
延命観音(えんめいかんのん)、衆宝観音(しゅうほうかんのん)、岩戸観音(いわとかんのん)、
能静観音(のうじょうかんのん)、阿耨観音(あのくかんのん)、阿麼提観音(あまだいかんのん)、
葉衣観音(ようえかんのん)、瑠璃観音(るりかんのん)、多羅尊(たらそんかんのん)、
蛤蜊観音(こうりかんのん)、六時観音(りくじかんのん)、普悲観音(ふひかんのん)、
馬郎婦観音(めろうふかんのん)、合掌観音(がっしょうかんのん)、一如観音(いちにょかんのん)、
不二観音(ふにかんのん)、持蓮観音(じれんかんのん)、灑水観音(しゃすいかんのん)

注目は、蛤蜊観音(こうりかんのん)ですね。
「蛤(はまぐり)」「蜊(あさり)」ですよ。貝好きにはたまりませんね。
まあ実際には「蛤蜊」とは、蛤の一種の「シオフキ貝」の事なんですけどね。
ちなみに私は、魚介類はニガテです。
よく「魚類」を「魚類」と書く方がいますが、正しくは「魚類」です。
まあ、魚と貝に限定するならば「魚類」の方がしっくりきますね。
こういう方は、魚はニガテでも「エビ、カニ」は好きなのでしょうか。
えっ!?もしかして「フナムシ」とか・・・・・きゃぁぁぁ・・・・・・(ホラーな目に遭っています。)

ところで、不二観音(ふにかんのん)と聞いて、「ふ〜じこちゅわ〜ん」とか思ったのは私だけではないはずです。




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