仏像といえば色んな種類がありますが、最初に作り始められたのは誰の姿かわかりますね?
はい、その通りです、釈迦、いわゆるブッダの事です。確か「ゴータマ・シッダールタ」という名のシャカ族の王子様です。呼び名とかは「ガウタマ」だったりするんで、その辺は柔軟にお読み下さい。
このブッダの事は、手塚治虫先生のその名もずばり「ブッダ」とかを読めばよくわかると思います。
ちなみに私は読んだ事がなかったりします。
ところで仏陀とは真理を悟った人の事で、釈尊一人の呼称ではないんですね。
それで、仏像にも色々な種類があるわけです。
仏像は釈迦入滅後すぐに造られた訳ではなく、紀元1世紀の終わり頃がはじまりです。
この釈尊が仏教をひろめ始めたのは、紀元前6世紀の終わり頃なので、それから600年以上経ってからの事なんですね。
経典の中には釈尊在世中にも仏像が造られたと説いているものもありますが、取り敢えず先程の期間まで造られたという事実が確認できないので、定説はB.C.1世紀の終わり頃となっております。
もちろんその期間、仏教関連のものがなかったという訳ではありません。
仏舎利塔(遺骨を納めた塔)や釈迦物語をあらわした浮き彫り、釈尊の足跡である仏足跡といわれるものはありました。しかし、それらに釈尊を人間的にあらわしたものはないんですね。
ちなみに、仏舎利塔は日本にもありますので、見かけた方もおられると思います。でも仏舎利は骨のカケラではないそうです。よく考えれば当たり前の事なんでしょうけど、最近まで、「骨や!」と信じていた私は・・・・。
そして、最初に釈尊の姿をあらわした「釈迦如来」が造られ、そこから多数の種類へと分化することになるのです。
ですから、厳密に「仏像」といえば、「釈迦如来像」の事なんですね。他は全て亜種という事になります。
しかし現在は阿弥陀如来であろうが不動明王であろうが、全て「仏像」と呼称しております。
まあ、そんなこんなで仏像が造られ、日本にまで入ってきたのは6世紀の中頃、仏教伝来の時期なんですね。
その当時、日本人は仏教なんて知りませんから、やっぱ異教っていわれるんですね。
でも日本人でも仏教に傾倒した人がいて、天皇に仏教を勧めてみると「じゃあ、なんかいい事が起こるか、その仏像持って拝んでみろ」って言われて、その人は自宅に持ってかえって必至こいて拝むんですね。そしたら、アラ不思議、悪い事が立て続けに!(笑)
んで、「仏教なんて、怪しいもの信じるからや!」と非難され、あわれ仏像は川の中へと投げ捨てられるんですね。
ちなみにこの仏像、まだ発見されていませんので、見つけて「なんでも鑑定団」にでも持っていけば、それはもう、もの凄い値がつくと思いますよ。一攫千金を夢見る方、チャンスです!(本気にしないで下さい)
ということで、こういう出来事がありまして、日本での仏像の初期は明瞭ではないのです。
文献もあり、現存するものが出てくるのは飛鳥時代になってからです。
つまりは聖徳太子の時代ですね。
そんな古くから、今も変わらず親しまれている仏像。
あくせくする毎日に疲れた方は、ゆっくりと鑑賞してみると、心落ち着くかもしれませんね。 |