第1回 韓国公演 -2日目-

2003年7月24日
公演当日


 6:30起床予定だったが、5:00には目が覚めていた。ダニエルも5:30くらいには目を覚まし、二人で駄弁る。
 7:15くらいにレストランへ。きみちゃんとかわちゃんは、もう先に食べていた。洋食中心のバイキングだが、ご飯もありなかなかおいしい。7:30過ぎにやまちゃんとソンヨンがやってくる。「待っていてくれなかった」と二人はブーブー言っている。ブーブー言いながらも、やまちゃんは、大盛バイキングをほおばっていた。

 8:30 ホテルの玄関前に、ウナス幼稚園の園長と園長のご主人が迎えに来る。二人とも大変素敵な笑顔で迎えてくれる。「アンニョンハセヨ」と挨拶。ちょっと照れくさい。2台の車の分乗し、ウナス幼稚園へ。ぼくは、園長の車にソンヨンとやまちゃんと乗る。
 園長によると、子ども達は昨日まで日の丸や韓国の国旗を作って会場をきれいに飾ってくれたらしく、とても楽しみにしているらしい。また今日は保護者も参加するので、参加人数が多いらしい。園長先生は、気さくにいろいろな話を聞かせてくれた。とにかく今日の公演を楽しみにしているのがよく分かった。

 幼稚園は、アパート群の中にあり(基本的に韓国は高層アパートが多い)、外観は日本と変わりがなかったが、中に入ると教育環境が行き届いた感じがした。
 会場のホールには、子ども達が作った旗が張り巡らせてあり、舞台には「歓迎 DANパネ団 パネルシアター公演」とハングル文字で書かれた横断幕が張られていた。この横断幕は業者に頼んで作ってもらったすばらしいもので、公演の後ちゃっかりいただいてきた。
 素敵な会場の壁面には、子ども達の日常の保育の様子がよく分かる絵や作品が整然と飾られていた。とても幼児教育に力を入れていることが分かる。
 また舞台には、必要なものがきちんと準備してあった。ソンヨンが22日に下見をしてくれていたおかげで、日本の公演での舞台よりもきちんとセッティングすることができた。最高の会場である。
 準備が終わり、始まりの時間を待つ。DANパネ団のメンバーは結構リラックスしていたが、責任感の強いソンヨンは、大変緊張していた。何度も一人で台本を読む姿があった。
 ぼくは、準備万端整えたことを確認した後、お茶をいただいた。
 ダニエルは、黙々とマイクの調子を調べたり、ビデオカメラを設置したりしていた。
 きみちゃんとかわちゃんは、キーボードの調子を見たり、伴奏の練習に余念がない。
 親分やまちゃんは、緊張しているソンヨンに肩をもんでもらっていた。さすがやまちゃん。でもこれがやまちゃん的優しさなのだろう。

 

 そんな中、先月別府に観光に来たときにお会いしたソンヨンの友達が見に来てくれた。そんな彼女にも、写真を撮ってもらったりして手伝ってもらうぼくらって・・・。
 10:00ごろになると、会場に少しずつ保護者と見られるおかあさんやおばあさんが入ってくる。どの顔にも温かさを感じる。言葉が分からないので軽く会釈したり「アンニョン」というと、「ニコッ」と笑顔が帰ってくる。

 10:20頃子ども達が入ってくる。かわいい。日本の子ども達と大して変わらない様子だが、服装やヘアスタイルが少しだけ違う。みんな利口そうな顔で、きちんとしているといった印象を受ける。日本の子ども達と異なるところは、あまりわさわさしていない(日本の子ども達、ごめんなさい)。

 会場もいっぱいになり(保護者も含めて、250名以上)10:30過ぎ、公演が始まる。園長の丁寧な紹介の後、ソンヨンの進行で公演がスタート。
 園長が話をしていると、伴奏組のきみちゃんとかわちゃんが、ガサガサ・・・。なんとキーボードがローバッテリー。それでも何ら焦る様子を見せないのは、豊富な経験と「・・・」であろうか。
 ソンヨンの指導の下、子ども達の「こんにちは」という挨拶。なかなかうまい。
 後で分かったことだが、昨日先生方は子ども達と「こんにちは」でなく「おはようございます」を何度も練習したらしい。あらあら・・・。

 ぼくは、「こんにちは。ぼくたちはDANパネ団です。日本から来ました。ぼくは、なべさんです。」と韓国語で自己紹介。会場の雰囲気がますます温かくなる。メンバーの自己紹介の後、やまちゃんの「こぶたぬきつねこ」からスタート。部分的に韓国語が入ると子ども達から歓声があがる。
 次の「だんご3兄弟」は、韓国語で行う。子ども達は、すぐにリズムを掴んで、「キョンダン(だんご)」と一緒に歌いだす。そしてエンディングの団子がたくさん並ぶシーンでは、日本と同様「ウォー」と歓声が上がる。ウケるところは日本と変わりなし。ただ積極的に知らない歌も歌おうとするところがすごい。
 盛り上がるところは一緒だし、元気いっぱい声を上げながら楽しむところも変わらないが、違うところは大人も子どもも本当にまじめなのだ。日本人が不真面目というわけではないが、とにかくまじめに見ているし、まじめに歌遊びにも参加する。
 また一丸となって楽しむといった印象もある。公演の終盤になると、子ども達は、あぐらをかいたまま、みんなで肩を組んで左右に身体をゆすってリズムをとって歌っている。これまでの経験ではなかったことであり驚いた。

 一番心配していた「ボールがとんできて」は、ダニエルとソンヨンのすばらしい連係プレーにより、子ども達もどんどん手を挙げて前に出てきてくれた。
 かわちゃんの「はなからこんにちは」は、シーンとなって見入っていた。
 韓国人の反応を心配していた韓国で一番ポピュラーな童謡「故郷の春」は、幼稚園児はまだ習ってないらしかったが、会場のみんなに合唱してもらうと、大人はうれしそうに歌っていた。やまちゃんときみちゃんのコーラスもすばらしく、韓国語も最高の出来だったらしい。
 ぼくが一人で韓国語だけでやり取りする「大工のきつつきさん」も、無事うまくいき、大人までも全員参加してくれた。全く日本と同じ反応にうれしくなる。

 ブラックパネルの「星座へのさそい」をしているとき、弾みでソンヨンがブラックライトのコードを踏みコンセントが抜けて会場が真っ暗になった。必死でナレーションをしているソンヨンは気付くよしもない。原因が分かるまで電球が切れたのでは・・・と大変焦った。にもかかわらず「星座へのさそい」が印象に残った人が多かったと、後になって聞いたときはホッとした。

 公演終了後、クラスごとに記念写真。子ども達はうれしそうに、また話しかけたそうにぼくらを見ていた。中には、「日本から来たの?」と言ったり、抱っこをせがんだり握手をしたりしてくる子どももいた。やっぱり子ども達はかわいい。

 マイクの音量が足りなかったことを除けば、大成功の公演だった。大人も子どももみんなパネルシアターの虜になっていた。
 公演の後、園長から保護者の多くが、ぼくらのことを韓国人だと思っていたと聞かされて、ますますうれしくなった。

 ぼくの願いは、このすばらしいパネルシアターが韓国でも使われるようになってほしいということ。とりあえずパネル布とPペーパーと以前使っていた「ボールがとんできて」をプレゼントした。もし使ってもらえたら本当にうれしい。
 次の公演まであまり時間がないので、急いで片づけをし、園長らの車で次のネーダン教会へ。

 途中、園長にお昼をご馳走になる。なんとまたぼくの大好きなプルコギのお店へ。園長と園長のご主人は、今回の公演を見て、大変感動しており、心から喜んでくれていた。
 園長は、「個人的な意見だけど、年1・2回ある幼稚園の合同職員研修会で指導してもらいたい。また来てもらえますか?」と言っていた。ありがたいことである。実現したら最高だなあ。


 ここで食べたプルコギは、昨日のものとはまた異なる味で、とてもおいしかった。またチヂミが異様に辛かったが、何ともおいしかったのが印象的であった。かすかに甘いプラムお茶というのが最後に出たが、これがまた何とも口の中を爽やかにしてくれた。(食べ物の解説ばかりで、グルメ番組のようになっているが、DANパネ団は食い物を欠かすと暴動が起きるので仕方がない)
 園長先生は、しきりに「うちの公演を後にしてもらえばよかった。ゆっくり食事をして大邱を案内したかった。」と言っていた。ますますありがたいことである。

 また寡黙な園長先生のご主人(元高校教師)も、今の自分の気持ちを表現したいと、車の中で「表現? 記憶 故郷の春良好」という漢字を平仮名の交じったメモをダニエルに渡してくれた。心打たれる一言。「故郷の春」作ってよかったあ。
 ネーダン教会で、園長とご主人とお別れ。大変名残惜しかった。
 ネーダン教会は、大変歴史のある教会だそうで、物静かな牧師さんが出迎えてくれた。会場は、4階のホール。立派なステージがあり、本格的な音響設備が準備してあった。ただとにかく暑かったので、1回目の公演を終えて、緊張感が切れ疲労が増し少々放心状態になりつつあるぼくらにとっては、過酷な状況であったかもしれない。
 

 準備万端整え、再度気合を入れて公演に望む。会場には、あちこちの教会の方々や信者さんなどが集まってくる。子ども達は小学生以上がほとんどで、子どもより大人の方が多い感じであった。
 神父さんのお祈りの後、DANパネ団の紹介があり、ウナス幼稚園と同様のプログラムで公演を行う。
 幼稚園と異なり、静かなスタート。厳かな雰囲気の中で、楽しんでくれているのか少々不安に感じていたが、やはり日本でウケるところで、「ウー」とうなる声が聞こえる。反応は薄いが、視線は釘付けである。後日日本に帰ってきて録画したビデオを見てみると、こちらの公演の方が、音響がうまくいっているせいか、公演の内容が分かりやすかった。
 疲れのせいか(いい訳です)、韓国語で歌うはずの「野に咲く花のように」を日本語で歌い始めたり、「大工のきつつきさん」の韓国語の台詞や歌遊びを間違えたりしたぼくだったが、みんながそれをカバーしてくれて、まずまずうまくいったのではないかと思う。

 

 ここでの「故郷の春」は、「一緒に歌いましょう」という前から大合唱が始まった。やはり「故郷の春」は、韓国の人にとっては大切な歌なんだということがよく分かった。
 全体的に幼稚園と比べると反応が薄かったので、関心がなかったのかと思ったネーダン教会だったが、公演が終わるとパネルをみんなが取り囲んで、絵人形をくしゃくしゃにしてしまいそうな勢いで触りまくっているのを見て、うれしかったけど絵人形が心配・・・。でも関心を持ってもらえて、本当によかった。

 なんとソンヨンの弟・おばさんも駆けつけてきており、とてもよろこんでいた。また昨日ホテルに来てくれたキムさんも忙しい中見に来てくれていた。みなさん、ほんとうにありがとう。

 公演終了の後、神父さんたちとお茶を飲んでいると、部屋の外から「ゆうやけこやけ」を日本語で歌っている声が聞こえてきた。しばらくするとぼくたちの公演に感動したおばあさん二人が、元気よく部屋に入ってきて、再度歌ってくれた。
 その後軍歌を歌いだしたときにはどう反応していいか分からず参った。うれしさと申し訳なさとが交じり合う複雑な心境だった。

 神父さん達も、この後どこかに案内したいと言ってくれたが、とにかくみんな疲れていたので、そのままホテルまで送ってもらった。ちょっと申し訳なかった。やはり海外での1日2公演は、ハードすぎたかもしれない。もっとゆったり韓国の皆さんと話がしたかった。

 2公演は、大成功だった・・・と思う。公演の成功を一番喜んでホッとしているのは、前日ほとんど眠れなかったソンヨン。ソンヨンのためにも、とにかく成功してよかった。すばらしい国際交流の場にもなった。ものすごくいい経験ができ、たくさんの形にはならない宝物をもらった。やっぱり思い切って韓国に来てよかった。
 ただ、ソンヨンに頼らず会話ができたら・・・と、ますます欲が出てくるのはぼくだけだろうか?

 DANパネ団結成6年目にして、こんなすごいことができるぼくらはすごいと思うし、すばらしい人々との出会いに支えられて、すばらしい機会を与えてもらえて、本当に幸せだとも思う。そしてぼく自身、DANパネ団のこんなに素敵なメンバーに支えられて、滅多に言わないけど、「みんなほんとうにありがとう」なんちゃって・・・。みんな、すごい!
 18:30過ぎ。めちゃくちゃ疲れていたが、お土産も買いたいという元気な女性軍の意見もあり、サンゲタンを食べたいというタフな女性(もう誰だかお分かりだろう)の希望もあって、ホテルからタクシーで40分くらい離れたサンゲタンのおいしい店のある町まで出かける。

 そこでは、まず韓国の童謡の本が欲しくて書店に行った。驚いたのは、書店の1階が全て児童書関係だったこと。さすが儒教の国だと思うし、いかに教育に力を入れているかが分かる。大して大きな書店ではなかったけど、豊富な児童書が所狭しと並んでいた。授業で使えそうなパズルや童謡の楽譜を買ったが、とにかく安い。日本の3分の1くらいだろうか。
 大邱は観光するところがないため、日本人はほとんどいない。町をブラブラしているとぼくらの会話を聞いて、お店の人などが「イルボン(日本)」と珍しそうに見ていた。

 その後、急にさっきまで「サンゲタンを食べたい」といってやまちゃんが、「文房具屋に行きたい」と言い出し、いろいろ話した結果、大邱市の中心地まで行くことになった。ソンヨン曰く、「そんなことなら最初から市内に行けば大きな書店もあったのに」・・・。そりゃ、そうだ!

 またまたタクシーを飛ばして、50分ほどかけて大邱市内の繁華街へ。日本では考えられないことだ。でもタクシーはとにかく安い。それだけ乗っても700円程度。
 ソンヨンが案内してくれた繁華街は、いわゆる渋谷のような町で若者があふれんばかり。そんな中で、地下街には大きな雑貨屋や音楽関係のお店がひしめいている。
 雑貨屋では、やまちゃん・きみちゃん・かわちゃんは、特にオ○○リアンの本性を丸出しにして、貪欲に物色して歩いている。特にやまちゃんの嗅覚は、超オ○○リアンの持つ超感覚で、欲しいと思っている物や珍しい物をうまい具合に見つけ出しては、カゴに放り込んでいる。
 そうしているうちに、やまちゃんはなんと昼のプルコギ屋で飲んだあのプラム茶を見つけ出してきたではないか! 恐るべし! しかしみんなも購入。やっぱりすごく安い。みんな、やまちゃんに珍しく感謝したのであった。

 さて買い物に精を出すDANパネ団であったが、夕食をまだ食べていなかった。もうとっくに9:00は過ぎていた。韓国の若者はますます元気である。まだまだ若者の津波は収まる様子がない。食べ物屋さんを探して歩く。やっと店が決まる。ただ食べ物屋さんにはお酒を置いていないところが多いので、喉が悲鳴をあげていたダニエルとぼくは大いに不満。
 そこで冷麺・韓国餃子・ビビンバ・石焼ビビンバなどを適当に頼む。どれも結構うまくてめちゃくちゃ安い。女性軍は、ますます元気。さっきまでの疲れた表情はどこへ?
 しかしソンヨンがいなければ、メニューの内容も分からないし、注文もできない。公演もソンヨンがいなければ成り立たなかったし、喰うことさえできないのだ。ちょっと情けない気もするが・・・。

 シメは、やっぱりやまちゃんリクエストのカキ氷。鹿児島の「しろくまくん」を思わせるカキ氷に大満足の女性軍だった。これだけ食べても30,000W弱と、値段もうれしい韓国最後の夜だった。

 そしてやっとホテルへ。もう11:00を回っていた。しかし韓国は元気である。まだまだ眠らない町なのだそうだ。ダニエルとぼくは、やっとビールにありついた。

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