第1回 韓国公演 -1日目-

2003年7月23日
旅立ち


 今回の公演旅行を計画してから、あっという間って感じです。年をとると月日の流れが早く感じるっていうからなあ・・・。
 最近天気が悪いのと、ビートルでの海外旅行は初めてなので、早めの朝5:00に別府を出発。
 みんな寝不足にもかかわらず、車の中では、もう公演や食べ物や観光についてパワー全開で会話が弾む。唯一の心配は、キーボードやポータブルマイクや、変圧器や乾電池や絵人形の入ったスーツケースなどのものすごい重量の荷物のことだけ。

 博多港国際ターミナルに、6:50到着。ターミナルはまだ開いておらず、7:00まで待たされる。
 ビートルは9:30の出発で、8:30の手続きが始まるまで、どうしようのないことが分かり、ターミナル内の食堂で朝食をとる。トースト1枚が250円は高すぎる。
 手続きが始まるまでかなり時間があったが、なんだかんだとやっているうちに手続きが始まる。

 手荷物の大きさや数量に制限があることを、本には書いてあったが全く問題なく、キーボードやポータブルマイクなども手荷物として無料で持ち込むことができた。
 出国審査や荷物の検査は、飛行機の場合と変わりないが、荷物はビートル内に自分で運び入れることができるし、荷物の置き方は普通の客船と変わりないので、なんとなく四国にでも行くかのような気分。初めての海外旅行のダニエルとかわちゃんにとっては、海外に行くという感覚は全くなくちょっと残念。
 異様に重たすぎるスーツケーツやキーボードやポータブルマイクをビートルに運び入れるのに、階段はないので抱えることは少なかったが、それでもへとへとになった。

 ビートルは、水の上をすべるように走るため、飛行機のような騒音はあるがほとんど揺れないので船酔いの心配はなく、なかなか快適。
 観光案内やお土産カタログを見たり、うとうとしたりして時間をつぶした。たった3時間の旅ではあるが、早く大邱(テグ)につきたいという気持ちで少々長く感じる。



 釜山(プサン)港には、予定通り12:25に到着。
 ビートルを降りてターミナルの中に入るまでに、あの荷物を持ってものすごく長い通路を歩かなければならなかったので、更にへとへとになり、「動く歩道を作れ」だのいろいろと悪態をつきながら歩く。
 手荷物検査のとき、ダニエルの持っていたポータブルマイクを不審に思われ、長い時間質問と検査を受ける。初めての海外旅行のダニエルにとっては、初めての災難である。やたら重たいスーツケースとキーボードも不審に思われるが、おかげで結構スムーズに通してもらう。荷物を持っている自分たちでさえ、怪しい集団だと自覚しているのだから、係りの人が不審に思うのは無理もない。
 釜山港で円をウォンに換金し、2台に分かれてタクシーに乗る。10,000W(ウォン)は約1,000円。JTBの現地係員のソンさんから、電車のチケットを受け取るためにアリランホテルに向かう。できればソンさんの方が、港まで出向いてくれるといいのにとまた愚痴る。10分ほどで到着。2,200W。安い。

 電車に乗るのに不安があるので、ソンさんに釜山駅まで連れて行ってもらう。韓国の電車は、出発時刻の15分前にならないと改札が始まらない。改札まで少し時間があったので、女性軍は昼食の調達。韓国の巻きずしを買い込んできた。ダニエルは荷物番で、ぼくはソンヨンに無事韓国に着いたことを知らせる電話。元気なソンヨンの声を聴いて少し安心する。

 定刻13:30に、セマウル号は発車。大きなスーツケースは、ぼくの腰痛を心配してほとんどダニエルが持ってくれるが、釜山港でスーツケースを運んでいる最中に背中の筋肉を傷めたようだ。まずい。

 やっと電車に乗れたみんなは、ホッと安心した様子。ぼくにとっても初めての個人旅行で少しは不安もあったが、荷物もあと少し持てばいいし、とにかく大邱にはこれで間違いなく到着する。
 セマウル号は、大変快適でシートもなかなかすわり心地よく、前の座席とかなりの距離がありゆったりしている。最近のマッサージ機のように足を置いて座れる設備がついており、ますます快適。
 巻き寿司のほかに、セマウル号の中で駅弁を買う。5,000W。少々高いが、温かいのがうれしい。揚げ物やお決まりのキムチが入って水がつく。味は、ちょっと・・・。

 日本と変わらない田舎の景色を見ながら、まだ韓国に来たという実感がないまま、定刻14:37、東大邱駅に到着。セマウル号の中では、日本語の案内があり、ますます外国に来たイメージが薄れていく。
 東大邱(トンテグ)駅の改札では、別府大学国文科の4年生で、これまで公演の準備や翻訳など大活躍してくれているソンヨンが待っていてくれた。久しぶりに会う元気なソンヨンを見たとき、みんな無事着けたてよかったとホッとしたらしい。ソンヨンの元気な姿を見たダニエルは、泣きそうになったと後で言っていた。

 タクシーで、インターブルゴホテルへ向かう。
 タクシーの中では、昨日ソンヨンが幼稚園と教会を下見してくれた話や絶対に欠かせない食べ物の話で盛り上がる。ソンヨンの責任感の強さに改めて感服する。

 インターブルゴホテルは大変立派なホテル。さすがに大邱市で初めての特1級ホテルだ。
 だがフロントでチェック・インをしようとすると、予約が入ってないと言われる。しかも対応してくれた男性は、日本語が分からない。ソンヨンに頼んで話をしてもらうが、ロビーで待たされたままなかなか部屋に入れない。JTBは何をしている! 
 みんなで腹を立てていると、どうやらチャック・インが17:00で予約されているらしい。何だかよく分からないが、チェック・インの時間が何時であろうが、予約してあるかどうかは分かるだろうとホテルに腹を立て、電車が14:30過ぎに東大邱駅に到着するのが分かっていて、17:00にチェック・インを予定したJTBに腹を立てる。個人旅行は、やたら腹を立てることが多い?

 それでも16:00ごろにやっと部屋に入ることができる。悪魔のような荷物から開放されると思うと、どっと疲れが出る。部屋は、ツインで大変快適。窓からは素敵な中庭が見える。
 17:30まで休憩を取り、ぼくのリクエストしたプルコギを食べに町に出る。

 ソンヨンがタクシーの人に聞いて「ガーデン・チェジュ」という店に連れて行ってもらう。国産牛を使ったちょっと高めの店らしいが、おいしいと評判らしい。
 まずはカルビを頼む。カルビのほかにソンヨン曰く、おかずと称す「キムチ」「味噌」「ちぢみ」「チシャ」などの入った小さな白い器がサービスでドドッと並ぶ。これはお代わり自由。
 お店の人が、調理バサミで肉を焼いたり切ったりしてくれるのを見ていると、よだれがズズッと出てくる。
 日本では肉はあまり焼かないほうが柔らかくておいしいが、韓国ではかなりよく焼く。お店のお姉さんから「食べていい」と許可が出るのを待って、肉を口に運ぶとこれがたいへんうまい!よく焼いているにもかかわらず肉は柔らかい。これは辛くはないが、おかずは辛い。
 あっという間にカルビを食べ終わる。

 つぎは、お待ちかねのプルコギ。これがすごい量・・・に見える。日本で言うところのすき焼きっぽい。なべに大盛に盛られた肉や野菜やくずきりのようなものも焼いていくうちにしんなりし、すごくうまそう。これもやっぱり調理バサミを使って食べやすい大きさに切ってくれる。
 プルコギは、ご飯にかけて食べるとおいしいらしく、日本の牛丼のような感じで味わうのが通のようである。味は甘めで、いろいろな素材の味と特性のダシの味が複雑に混ざって、何ともおいしい。やっと韓国に来たって感じがしてきた。
 寝不足と疲れと船酔いの薬を飲んで、珍しくおとなしくなっていたやまちゃんが、本領発揮でぱくつきしゃべる。その後、冷麺まで食らう。食べているときのやまちゃんは、本当に幸せそうである。
 お店のお姉さんが、ぼくらがソンヨンに教えてもらいながら使う韓国語を聞いて「上手です」と笑っている。うれしくなる。

 食後ホテルに帰って、ホテルの喫茶でお茶した後、20:30から明日の打ち合わせと久々にソンヨンを交えての練習を行う。やはりDANパネ団はまじめである(自画自賛)。みんなかなり疲れているが、それでもやはり明日のことを考えると、練習せずにいられない。
 練習していると、ソンヨンの友人で、今回の公演先の幼稚園を紹介してくれたキムさんが遊びに来る。日本語の分からない韓国人の反応が見たいと、韓国の歌をパネルシアターにした「故郷の春」を見てもらうが、反応が今一。
 この作品は情景を表現しただけのシンプルな作品だったせいか、「これを子ども達に見せることにどんな教育的意義があるのか?」と不思議そう。「ぼくらが教育として使うときには、もっと別の形でパネルシアターを利用するが、DANパネ団としてやるときは、子ども達といっしょに無条件でパネルシアターを楽しみたいだけ」という説明をする。しかしまだ納得いかない様子。
 その後「ボールがとんできて」や「だんご3兄弟」「ブタくん街道を行く」「大工のきつつきさん」を見せると、だんだんパネルシアターの楽しさが分かってきたようであった。
 ただ韓国語が通じないところがあり指導が入ったりしたが、今となっては仕方がない。明日は勢いで押し通そう。

 公演先を紹介した手前、パネルシアターを知らないキムさんは大変心配していたと思うが、少し安心した様子。都合で、明日の公演は見に来られないのが残念と言っていた。
 厳しい意見も多かったが、明日の公演の予行練習や気をつけるところが分かって本当によかった。いろいろな人に支えられている今回の公演です。キムさん、ありがとう。
 11:00過ぎにベッドに入る。ダニエルは、重たい荷物を運んだ疲労と昨日寝てないこともあってすぐに寝息を立て始める。
 だが、ぼくは快適なベッドだったにもかかわらず、なかなか寝付けないのであった。

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