怨念!赤壁の謎を追え

 
大分県中津市某所にある合元寺、この寺の壁は常に赤く彩られています。
そこには、ある戦国武将の数奇に満ちた運命と、現在でも語り継がれる逸話があります。

曰く、赤壁。

この壁は、謀殺された侍達の血のりで赤く染まり、時を経た現在もなおその血痕が消しても浮き出てくるという、いわくつきの場所です。

今回は友人と共に敢行した、赤壁の潜入取材の模様をお送りします。

なお、ルポのため、文は常体にて失礼します。


 

某月某日某所、武士の怨念宿る赤壁、その存在を確認すべく彼の地に降り立った。
 

まずは道中、この奇妙な話の主人公、戦国武将・城井鎮房(きいしげふさ)について、
話しておかなければなるまい。

戦国武将マニアを自称する方でも、この城井鎮房を知るものは
少ないのではないかと推察する。
 
 

城井鎮房(1536-1589)は豊前の国、城井・若山城城主であった戦国武将。
眉目秀麗にして大力無双の好人物であったと伝えられる。

祖を、源平の乱のおり後白河法皇の御座所を守って錦御旗を賜り、
後に豊前守護職に任ぜられる宇都宮信房にもつ、名門の出である。

さらには、豊後の強大なキリシタン大名・大友義鎮(よししげ、宗麟・そうりん)の
義弟であり、「鎮」の一字を賜っている。
 
 

これ程の人物であるにも関わらず、歴史の表舞台に上がらないのは、
この頃の城井氏は大友の属将であり、配下も千五百余騎に過ぎず、
「強きを討ち、弱きを助け」という昔気質であったため、
時の太閤秀吉に疎まれたという経緯もある。

この秀吉に疎まれたがために、壮絶な最期を遂げる事になるのである。
 
 

鎮房を疎んだ秀吉は、黒田官兵衛孝高(如水)・長政父子に討伐を命じた。

この黒田官兵衛、秀吉をして「儂の他に天下を手中に治められる唯一の人物」
といわしめたほどの人物である。

その官兵衛率いる黒田勢四千五百を、天然の要害、城井谷にて迎え撃ち、
たった千五百で追い返した。
 
 
 

業を煮やした官兵衛は子の長政を通じて謀略を図る。

中津城(大分県中津市)に嫁いでいた鎮房の娘、鶴姫を利用して、
鎮房を中津城に招き入れ、その場で惨殺した。
 

後に官兵衛は、「まっとうでは勝てず、人に戦を押しつけた」といって
死ぬまで後悔し続けたという。
 
 

その言葉を裏付けるように、卑劣な手で謀殺された鎮房の念は
恐ろしい怨霊となり、官兵衛の血筋を三代で終わらせた。

現に中津城、福岡城(警固神社)には鎮房の霊を鎮めるため
城井神社が建立され、今に残っている。
 
 
 
 
 

さあ、前置きがすっかり長くなってしまったが、
そろそろ「赤壁」の由来について話ろうと思う。
 
 

この鎮房が中津城で謀殺されたおり、家臣団は合元寺という寺で待機していた。
そして、その場で主人の訃報を知る事になるのである。

彼等は非業の最期を遂げた主人に報いるため、この寺内外にて
自らも勝てぬ戦いを敢えて挑み、玉砕していった。

今も寺の庫裏の柱には、その当時の刀傷が残るという。
 
 

この家臣団の鮮血が合元寺の壁に映り、
いくら洗えど、さらには時が経ようとも、血の刻印は消える事が無かった。

それは、四百年余を過ぎた現在でも変わらず、そこに存在するのである。
 
 
 
 
 
 

これが、赤壁の由来と事の顛末である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

先程まで燦々と太陽が照りつける午後であったが、
にわかに空模様が怪しくなってきた。


午後三時だというのに薄暗く、どこか閑散とした路地を、
合元寺へ向けて歩み続ける。
 
 

しかし、昼間なのにこの暗さは少々気に掛かる。
もしかすると、無念の思いを抱いた英霊たちが、
侵入者を拒み、または警告しているのではないだろうか。
 

だが、ここまできて引き返す訳にはいくまい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

刹那
 

一陣の風が我等の間を吹き抜けていった。

肌寒い一月の寒風である。
 
 
 

背筋の寒くなる風を受け、しかし何か違和感を感じた我等は
その場に立ち止まり、辺りを注意深く観察した。
 
 
 


 

あれは・・・・・
 
 

写真では解りづらいが、今見たのは確かに赤い壁。
 
 
 
 
 


拡大図
 

赤い、いや・・・朱いっ!

今なお沸き出してくる血潮のように、鮮やかな朱である。

間違いない、着いたのだ。

ここが赤壁。
 

無念の魂の漂う、人為らざる者の世界。
人を拒み通し、生ある者は立ち入られざる魔の世界への入口。
 
 
 
 
 


 
 
 
 

なんだ・・・
気分が悪い。

やはり我等は拒まれているのか?

不意に鬱屈感に襲われ、立ち止まった。
 
 
 

だが、こんな所でくじけるわけにはいかない。
全貌をあらわすのはもう少しなのだ。

その事が四百年前の怨念への手向け、
そう信じ、両手で祈るようにカメラを構えた。
 


 

遂に姿をあらわした赤壁。

これがその全貌である。
 
 

目に飛び込んでくる景色とは明らかに異質の赤。
そのコントラストは見る者を圧倒する。
 

隣にあった白壁と比べても一目瞭然の赤。
 
 
 
 
 
 

間違いなく、ここが合元寺。
 
 
 
 

眼前に、荘厳なまでの威圧感を漂わせ、
ひっそりと佇む赤壁。
 
 
 

やはり、何か尋常為らざる違和感を感じる・・・
 
 





















 
 


可能な限り接写
 
 
 
 
 
 
 

にしても・・・・
 
 































 
 
 

朱すぎやしませんか?
 
 
 
 
 

あんまり考えたくはないのですが、
 
 

これってもしかして、
 
 
 

いわゆる、
 
 
 
 
 
















 
















 































(ゼンジー北京 コミックマジシャン)
 

ペキン?




























もとい・・・
 
 


 

ペンキ?
 
 


 

確かに。

写真ではやはりわかりづらいが、
 
 

明らかに
 
 
 
 
 
 
 

情緒のない朱。
 
 
 
 
 
 
 
 

しかし、
 

我々は確かに人為らざる者の気配を感じた。
 












例えるなら、そう・・・

獣臭にも似た感覚。
 
 

未だ浮かばれぬ武将達の悲壮と慟哭の声なき声。
 



























 


 
 


 
 


 



















ホントの獣だし!




















しかも、





















 
 

カワイイー!
 


 

正面から撮ろうとすると、顔を振って取材拒否。
 
 
 

・・・う〜ん、イケズ。
 
 
 
 
 
 

本殿。

ここで殺陣があった・・・・ハズなのだが。
 
 
 
 

しまいには願っちゃってるし。
 
 
 
 
 

あの・・・・
 
 
 
 
 

怨念は・・・・?
 































 


 

最期は、城井鎮房の討たれた、夕闇煙る中津城をバックに、

我々は取材を終えた。
 
 
 
 
 
 

辺りには、我々をあざ笑うかの如く、

虫たちの声がいつまでもいつまでも、こだましていた。
 

ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ。



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

あとがき
 

くだらなくてスンマセン。
 

ペンキ(?)のあからさまな赤に興ざめして、怪奇ページ風に盛り上げてみました。
 

盛り上がってませんけど。
 

壁の赤は、血が浮き出してくるから赤く塗るようになったそうです。
血で赤いわけではないのです。

しかし、あの赤の下には血が浮き出ているのかもしれませんよ。
 
 
 

まあ実の所はゼンジー北京ネタを出したかっただけだと、もっぱらのウワサです。
ゼンジー北京、知っテるアルか?
 

しかし、気分が悪かったのは本当の話。
 
 

車酔いで。
 
 
 

この赤壁、福沢諭吉旧邸のすぐ近くなので、中津に立ち寄られた際は、是非お立ち寄り下さい。

鎮房の意志を受け継ぐワンちゃんが貴方をこころよく歓迎してくれます。
 
 

よい子(じゃなくても)に一言


近くにあった、可愛い看板。


 
 
参考資料
戦国武将 城井鎮房

宇都宮泰長著   鵬和出版   平成九年四月 発行

 
 


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