INDEX
日付 | 曜日 | タイトル | 内 容 | ジャンル | おすすめ度 |
01/16 | 日 | HPはじめました | とりあえず立ち上げてみました | 日記 | * |
01/17 | 月 | 大地震は17日に起きる?! | 大地震の起きた日と旧約聖書との関連性 | バラエティ | *** |
01/18 | 火 | 動物占いとタメ張ろう | 動物占いに対抗して新しい占いをつくるぞー | 日記 | ** |
01/19 | 水 | 新しい占い制作中 | 新しい占いをアップするのに苦労してます | 日記 | * |
01/20 | 木 | アイデアがもったいない | 消えゆくアイデアにいいものがあるかも | 日記 | * |
01/21 | 金 | 休み | お休みです。 | 休み | − |
01/22 | 土 | 新しい占い「おうち」占いです。 | 四柱推命を簡単に、「おうち」占いをどうぞ | 日記 | ** |
01/23 | 日 | 占いは自己暗示? | 占いでいいことだけ信じれば本当にいいことがある | 占い | ** |
01/24 | 月 | 吉野川可動堰住民投票について | あなたは棋士の変な手に文句を言いますか | まじめ | *** |
01/25 | 火 | 専門家とのつきあい方 | 専門家を非難するなら、最低限の勉強はしなきゃ | まじめ | ** |
01/26 | 水 | 「おうち」占いの今後 | 「おうち」占い、HPでどうしよう | 日記 | * |
01/27 | 木 | 究極の書き換え防止策 | データをROMにいれとけば絶対書き換えられない!? | バラエティ | *** |
01/28 | 金 | あせってるね | あせってるよ | 日記 | * |
01/29 | 土 | 休み | お休みです。 | 休み | − |
01/30 | 日 | 日本の財政再建について | 日本はちゃんと税金を徴収していないんじゃない? | まじめ | *** |
01/31 | 月 | ミレニアム?日本は元号じゃない? | 政府のミレニアム発言から、日本の宗教的無頓着まで | エッセイ | **** |
02/01 | 火 | 日本人の宗教への無頓着 | 日本は安全だからね、宗教に無頓着でいられるのさ | エッセイ | *** |
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・その1 2000年1月16日(日)
インターネットを始めて半年、ようやくホームページ開設のめどがついた。最初は、どんなページにするか、占い専門でいくか、ゲームの事も書くか、時事問題も捨てがたいなあと思い、統制のとれないHPになるなあと思いながら、「案ずるより生むがやすし」だと、作り始めた結果、当初の懸念どおりごった煮になってしまった。
もっとも、HPというものは最初はその方がいいのかも知れない。HPを見に来る人の反応をみて、評判が良さそうなところを拡充し、そうでないところは自然消滅させるのがいいのかも知れない。
さて、このHPも最初は時事問題を取り上げようと思い、そういうページを作っては見たのだが、どうも内容が過激になるきらいがあり、各方面からの反発がこわいので、とりあえず今回のアップは見送ることにした。実は、それで開いたスペースにこのエッセイを入れているのだが、ここもどういう風に変わるか、今の段階では分からない。
せっかくHPを作る以上、アクセス数を増やしたいのは人情である。私も、このHPで「四柱推命の鑑定をします」と打ち出そうかとも思ったのだが、アマチュアでやっている分にはどう頑張っても1週間に5〜6人が限界だし、これから年度末は仕事が尋常でない忙しさになるので、今回は出していない。もっとも、対応できる数(週に2〜3件)なら、なんとかしたいとは思っている。
さて、そのときに問題になるのが鑑定結果をどのように出力するかである。現在、四柱推命の鑑定の様式をLotusで作っているので、これをテキスト形式になおすのは結構骨が折れる。Lotusをもっている人限定にしようかとも思ったのだが、それは本末転倒であろう。
・その2 2000年1月17日(月)
今日はあの阪神大震災からちょうど5年目ということで、神戸では追悼の行事が数多く開かれたようだ。それから、今日のニュースでは、トルコの大地震から、今日で5ヶ月だということである。
ところで、ここで何か気づかないだろうか、そうです。阪神大震災も、トルコ大地震も、17日に起きているのです。気になって他の大地震の起きた日を調べてみたところ、関東大震災が9月1日(防災の日)、昨年起きた台湾の地震が9月21日、1989年におきたサンフランシスコ地震が10月17日、もしかして・・・
−大地震は17日に起きやすい−
それを確かめるため、20世紀の主な地震(日本、海外)が何日に起こったか調べてみた。108の地震について調べた結果
1位 15日−−8回 21日−−8回(7.4%)
3位 17日−−7回(6.5%)
という結果になった。さすがに、「地震は17日に起きる」という結論にはならなかったが、この3日間で全体の21%の地震が起きていることになる。
さて、私がなぜ17日にこだわるのかというと、旧約聖書に出てくる「ノアの箱船」で、大雨が降り出して地球を水没させた日が2月17日であり、この17日というのはカバラ(ユダヤに伝わる占いをはじめとする秘術)のなかで重要な意味を持つらしいということにあります。
ですから、私は、今年の1月17日に、阪神大震災の追悼式典が行われるというニュースを見て、「今年の1月17日にも何か起こるかも知れないのに、のんきなものだなあ」と、不謹慎にも思ってしまったのでした。とにかく、今年は災害が起きなくて何よりです。
ところで、阪神大震災の約2週間前、東北地方で大きな地震があったことを覚えている方はどのくらいいるのでしょうか。三陸はるか沖地震という、結構規模の大きな地震が、その前の年の12月27日(だったかな?正確な日付忘れています)ごろに起きています。この地震もかなり大きな被害が出て、実際に、阪神大震災の直前までは、この地震のニュースがマスコミをにぎわせていたのです。
ところが、阪神大震災が起きるや否や、この地震のことは世間からほぼ完全に忘れ去られてしまいました。三陸はるか沖地震で被害に遭った方も、おそらく苦しみは阪神大震災に匹敵するものだったと思います。しかし、彼らには救いの手が十分にさしのべられたのでしょうか。
我々は、大きな災害、大規模な災害には目がいきます。マスコミも大きく報道します。しかし、大きな災害で被害に遭っても、自分の家の裏山が崩れて家1件だけが被害に遭ったとしても、被害者の苦しみというのは同じなのではないかと思うんです。そう考えると、我々はもう少し小さな災害、小さな災害の被害者にも目を向けるべきなのではないかと思えてなりません。特に、小規模な災害の被害者は、被害を共に語り合う相手がいません。ひょっとしたら、これらの災害の被害者は私たちの知らないところでものすごく苦しんでいるのではないでしょうか。
・その3 2000年1月18日(水)
占いをやっていながら恥ずかしいことだが、最近になってやっと、話題の「動物占い」を研究してみた。ちなみに、私は「子鹿」だそうだ。いろいろ調べてみたところ、この「動物占い」は、四柱推命からきているみたいである。タネ明かしをすると(してもいいのだろうか)四柱推命における生まれ日の干支からとった十二運を動物に当てはめているみたいである。ちなみに、その対応表は
長生−さる
沐浴−チータ
冠帯−黒ひょう
建禄−ライオン
帝王−とら
衰−たぬき
病−子守熊(コアラ)
死−ゾウ
墓−ひつじ
絶−ペガサス
胎−オオカミ
養−子鹿
のようである。(あくまでも推測です)
簡単に解説しておくと、四柱推命における十二運星というのは、生まれ日、月、年、時間の干支で導かれる星で、生まれ日の十二運はその人の性格を表すとされている。
動物占いは、この部分を動物に置き換えて、わかりやすくしたもののようである。
四柱推命は、的中率が高く、しかもその日の運勢から、相性、ラッキーアイテムまで導くことができる、非常によい占いなのだが、何せ複雑で難しく、また、用語が難解であるのが欠点といえよう。上の対応表で、沐浴とか、冠帯とかいっても、何のことか分からない人が多いだろう。
そういう意味で、動物占いは、これをわかりやすくしたという点では大きく評価できるのではないかと思う。
おそらく、四柱推命のプロからすれば、動物占いは邪道であるとなるのであろう(どの四柱推命の本にも十二運は簡単に性格などを出すことができるので、未熟な推命家はこればかりを使うとの嘆きの記述がある)しかし、これはあくまでも動物占いであり、わかりやすく、話題になる点では大きく評価できるのではないか。
私も、この動物占いに影響され、わかりにくい四柱推命を何とかわかりやすくできないか考えているところである。特に、動物占いでなされていない、四柱推命の本質、つまり陰陽五行の考えを、わかりやすく表現できないか試行錯誤をしているところである。今のところ、だいたいの骨格は整ったので、ひょっとしたら近いうちに「占いの話」で紹介できるかも知れない。
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・その4 2000年1月19日
きのうから、頑張ってやさしい四柱推命の制作をしているところである。やさしいとはいっても、占い結果の算出が結構大変で、これを簡単に算出するのが一苦労である。私ができればいいのであれば、ロータス123(表計算ソフト)に算出用のワークシートを入れているので、それで事足りるが、だれでも簡単に算出できるようにするには、数式を簡単にし、表をできるだけ少なくしなければならない。しかしながら、四柱推命の算出のためには、現在の暦を旧暦に直すところから始めなければならない。これが結構面倒で、結局のところ、算出する範囲の暦をすべて出さなければきちんと占うことができない。そうすると、膨大な量の表が必要になり、簡単に算出するという当初の目的を大幅に逸脱してしまう。とんだところで壁にぶちあたってしまった。
とりあえず、次善の策として、ロータスのワークシートをダウンロードできるようにするとともに、一番大事な1つの要素について、簡単な計算式を作成して(ただし、1901年〜2099年生まれまでという期間限定つきだが)それについては占いのページで紹介するという形になった。
本当は今週末にでも、新しい占いとして大々的に打ち出そうと思っていたのだが、それはちょっと厳しくなりそうだ。
今の世の中、どうしても難しいものは敬遠される。しかし、大きな成果をあげようとしたり、真実を深く追究しようとすると、どうしても難しいものに当たらなければならない。この矛盾がいろいろなところで我々人類を苦しめているのだなあと感じた、今回の作業であった(大げさかなぁ)。
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・その5 2000年1月20日
今日も一日いろいろな事を考えていたような気がする。それにしてはここに書くことが浮かばなかったりする。ここに書くことにはとりたてて制限はないのだから(よっぼどな事以外は)、すらすらと何か書けそうなものだが、いざ書くとなるとそう簡単にはいかない。
そう考えてみると、私たち(おそらく、私だけではないであろう)は、日常考えていることのほんの一部しか表現できていないのではないかと思う。思っていても、戦略的に口に出さないことは別として、面白い発想とか、受けるギャグとか、新しい商品のアイデアとか、多くの人がいろいろ考えていることのうち、9割ぐらいは忘却の彼方に消えてしまうのかも知れない。なんかもったいない気がする。
たぶん、面白い、あるいは、良い考えが浮かんでも、自分でそれを否定してしまったり、あるいはうまく言葉で表現できなかったりして、日の目を見ないアイデアって多いんじゃないだろうか。
私は、ここでネット上にそこはかとない変なことを書きつづっている。今日、このページのカウンターをみたら、昨日が9,今日が10だった。つまり、誰も見に来ていないということだ。それはそれで寂しいが、その分安心して好き勝手なことが書ける。そういうわけで、ここに書いてあることはたわごとなんだが、それが、あるいは、日本にいる誰かの役に立つことがあるかも知れないのである。
そういう意味では、インターネットというのは、今まで消えていたアイデアを、いくらかでも世の中に出して、有効活用できる場として貴重なのかなと思う。
明日はカウンタが少しは増えてることを期待しよう(あまり増えても恐いけど)。
・その6 2000年1月22日
いきなり1日休んでしまった。やはり、毎日更新するというのはかなり大変なことのようだ。全国のホームページの管理者のみなさん、その努力に敬意を表します。
さて、かねてから制作を続けていた「おうち」占い、やっと、最初の部分だけはなんとかなったので、本日よりアップすることにしました。この「おうち」占い、タネを明かせば、四柱推命なのだが、分かりやすく工夫したというのが、この「おうち」占いの最大の目的なのである。
というのも、四柱推命はきわめて難解で、私も専門書を5冊以上読んで、1年以上かかって、やっと基本の基本がわかったという段階である。四柱推命は非常に的中率の高い、いい占いなのだが、こう難解ではなかなか一般の人には理解できないだろう。私も、50人ほど四柱推命で占ったが、解説シートに難解な用語を書かなければならず、それを説明するのにものすごく苦労したものであった。
そういうわけで、本日よりアップする「おうち」占い、どのくらいの人が支持してくれるかは分からないのだが、少しでも四柱推命の理解の助けとなれば幸いである。
もっとも、今の段階では、まだ入り口(玄関)なので、ほんとうのところは、これからまた説明していかなければならない。これが結構大変な作業で、原案はできてはいるものの、これを分かりやすく説明するとなると骨が折れる。なんとか、あと1〜2週間のうちに、「おうち」の中の説明までしたいのだが・・・
・2000年1月23日(日)
このページもいつのまにかアップして1週間になってしまった。もっとも、「売り」の「おうち」占いをアップしたのは昨日だから、実質はアップしたばかりということになる。
そういえば、今年に入って、占いをして欲しいという人が少なくなった。おそらく、みんなおみくじが「大吉」だったから、それを守りたいんだろうなと思っている。まあ、占いなんてものは、いいことだけ信じて、悪いことは忘れるというのがいいような気はしている。
占いというのは不思議なもので、一度信じてしまうと、その占いが間違っていても、その間違った占いのとおりにその人がなってしまうという特徴がある。先日占った人が、自分が「動物占い」で「ペガサス」だと思っていたのだが、もう一度やり直したら「子鹿」だった。しかし、やり直すまでは、自分が「ペガサス」だと思っていたので、行動も「ペガサス」の行動になりつつあったようだ。
こう考えていくと、占いには自己暗示的なものがあるような気がする。したがって、もし占いが間違っていた場合、訂正後が良い場合は訂正し、訂正後が悪い場合は訂正しないというのがよいみたいである。
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・2000年1月24日(月)
徳島県の吉野川可動堰事業における住民投票の結果が出た。やっぱりとはいえ、反対が圧倒的多数だったみたいである。このことについて、いろいろと考えてみた。
技術的な議論をするには、私の手持ち資料は少なすぎるので、ここでは、こういう問題について、すこし変わったたとえ話をしてみよう。
−このたとえ話はフィクションです−
串焼市と焼鳥市は、昔から仲が悪く、ことあるごとに反目していた。今回も、市の境界付近にある温泉がどちらの市のものかで、2市の住民同士が大喧嘩をした。
争いは決着が付かず、事態を重く見た県は、この2市に対して、将棋で決着をつけるように勧告した。
2市は、これを受け入れ、2市ともに将棋のプロを呼んできて、2市の市民が見守る中、世紀の対決が始まった。
勝負は一進一退、どちらが有利とも分からないまま、対局はえんえんと続いた。
そして、串焼市側の棋士がある手を指したとき、串焼市民の1人が叫んだ。
「おい、その手はおかしいぞ!」
串焼市側のプロは、飛車(将棋で王以外で一番強い駒)が相手にただでとられるような手を指したのである。そして、その声に続いて、串焼市民側はこの棋士にブーイングをあびせた。
「そうだそうだ、その手はおかしい」
「自分が直接関係ないからって、いい加減な手を指すな」
「おまえ、まさか焼鳥市とつるんでるんじゃないだろうな」
こうなると、串焼市民の棋士に対する不信感は爆発した。そして、今の手を取り消すかどうか、串焼市民が多数決で決めることになった。
多数決の結果は言うまでもない。ほぼ全員が「今の手を取り消せ」という結論に至った。棋士は、しょうがなく、今の手を取り消し、みんながあまり文句を言わないような穏やかな手を指すことにした。
一方、焼鳥市側の棋士も、似たような手を指したが、焼鳥市民は、
「プロがやることだ、プロにまかせよう」
と、串焼市のようなことはしなかった。
−さて、この勝負の結果はどうなったでしょうか−
・2000年1月25日(火)
昨日のたとえ話の勝負の結果、実は私にもわかりません。要するに、「我々はどこまで専門家を信頼すべきか」という問題提起なのです。
最近は、医療ミスの頻発(単に明らかになる数が増えただけだと思うのだが)や、原子力事故など、専門家への不信感を増大させるような事件、事故が多く報道されている(報道されていると書いたのは、私自身が「最近多くなってきた」とは思っていないからである)。これらの報道を見る限りにおいて、確かに専門家にまかせっきりというのは、危険なのではないかと感じざるを得ない。
一方、専門家のやることに素人が口をはさむとロクなことがないのもまた事実である。医者を信用しないで医者にかからなかったり、医者の言うことを聞かなかったりして命を縮めた人は少なくないだろう。我々は、この両極端の悪い面をふまえながら、専門家とつきあっていかなければならないのではないだろうか。
私は、いくら素人でも、専門家と話をするためには、その事柄についての基本的な最低限の知識は持っておくべきだろうと思う。そうでなければ、議論がかみあわないし、万一素人側が自分の意見を強引に押し通してしまった時には、とんでもない結末になるのは目に見えている。したがって、基本的な知識を持っていないのであれば、まずは専門家の説明を聞くべきである(基本的な知識があっても説明は聞くべきであろう)。ここで注意することは、この時点で不信感をあらわにしていたのでは、聞く意味がないということである。はじめから不信感をもっていたのでは、説明を聞いても揚げ足取りしかしなくなってしまい、説明が分からないばかりか、専門家側が不信感を持ってしまい、以後十分な説明がなされなくなってしまう。
専門家の説明をよく聞き、基本的な事項を把握する。ここまできて、はじめて素人側に専門家の意見が正しいかどうかを検討する資格が与えられる。
ここまで論じると、「専門家の言うことは分からない」。という反論が聞こえてきそうである。専門的な事柄を説明するためには、どうしても難しいことを理解してもらう必要がある。また、専門家、特に理科系の専門家は、一般的に口下手である。(だから理科系に進んでいることが多いのだが)、この問題については、専門家、素人双方に努力が必要なのだと思う。あるいは、専門家と素人の間を仲介する通訳みたいな人材が必要なのかも知れない。
・2000年1月26日(水)
ここのところ仕事がかなり忙しくなってきた。そんな中で、HPを更新するのも骨が折れる。
さて、「占いの話」で打ち出した「おうち」占い、まだ訪問者が少ない(というかほとんどいない)こともあって、何とも言えないのであるが、この先の展開をどうするか、やることは決まっているのであるが、それをいかに簡単に表現するか、今のところ苦心している。本当は、「おうち」占いの次に、今度はタロット占いなど、無作為にカードなどを混ぜて占う占いの話にもっていきたいのであるが、それにはかなり時間がかかりそうである。内容があまりもりだくさんになっても、特にこのHPは文字ばかりなので、読む方も大変かも知れない。なんとか、もっと簡単に表現する方法はないものであろうか。
・2000年1月27日(木)
何やら科学技術庁や総務庁のホームページがハッキングされたらしい。このページも・・・・大丈夫だろう。別にハッキングする価値も(いまのところは)ないし。
さて、日本では、いろいろと危機管理が甘いと言われているが、ホームページを勝手に書き換えられるのを防止するいい方法はないだろうか。と書くと、ほとんどの人はパスワードを複雑にするとか、アクセス経路を監視するとか、そういうソフト面のことを思い浮かべるんだと思う。ところが、私のへんてこな脳は、ちょっと違うことを考える。すなわち、
「ホームページのデータをROMに書き込んで公開すれば、書き換えられることはない」
つまり、書き換え自体を物理的に不可能にしてしまえばいいのである。ROMにするのは無理としても、サーバーのデータの置き場所を物理的にライトプロテクトしてしまう。もちろん、これでは、正規の利用者が書き込みできないから、公開するデータの置き場所とは別に、アクセスして書き換えが可能な領域を用意しておく。そして、サーバーの管理者が、そこに書き込まれたデータをチェックして、不正なものでないことを確認した後に、本来の公開する場所に書き込む。この方法であれば、更新に時間がかかるというデメリットはあるものの、公開されるデーターはほぼ安全である。政府のホームページみたいに、リアルタイムで書き換える必要性が低いものは、こういう方法をとれば勝手にアクセスされて書き換えられるということは、ほとんどなくなると思うのだが。あとは、データのセキュリティーに、それだけの手間と費用をかけるのがいいかどうかであろう。
管理者の常駐が難しい場合は、書き換え後の内容と書き換え前の内容を自動的に照合するプログラムを作っておいて、照合の結果、内容が大幅に変わっていた場合や、重要な部分が書き変わっていた場合などに、警告が出るようにしたり、特定のアドレスに確認のメールが送信されるようにしておくという方法もある。この方法なら、サーバに管理者が常駐する必要がないので、比較的安価にセキュリティーを保つことができる。(確実性は下がるが)
・2000年1月28日(金)
早いもので、1月ももう残り少なくなってきてしまった。こう時の流れが速いと、自分はいったい何をやっているんだろうというあせりを覚える。最近、何かやらなければ、という、強迫観念にも似た感覚に襲われる。このHPもそんな感じで立ち上げてはみたのであるが、まだ立ち上げて2週間にもならないというのに、あせりを感じてしまう。いつも、もっとのんびりしたいと思いながら、自分で自分を追いつめてしまっているような気がする。
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・2000年1月30日(日)
早いもので、このHPも3週目に突入した。さて、今日は、かなり堅い話、日本の財政再建について語ってみたいと思う。
今、日本が景気が悪いとは言っても、日本の経済力はかなり強いのには間違いない。その上、貿易収支も常に黒字である。
それなのに、なぜ日本政府は借金漬けになってしまったのか。巷で言われている理由は大きく次の2つである。
・景気が悪いため、税収が落ち込んでいる。
・公共事業などで大量の無駄遣いをしている。
それでは、この2つについて検証してみよう。
まず、「景気が悪いため、税収が落ち込んでいる」ということからいってみよう。確かに、景気が悪いことで、税収が落ち込んでいる事は事実である。しかし、考えて見てほしい。空前の好景気といわれていたバブル時代にも、国は大量の借金を抱えていた。ただ、バブルの時期には、将来の経済成長を見込めば大したことはないと、みんながたかをくくっていたため、話題にならなかっただけではないのだろうか。実際、今の借金漬け財政が、景気が落ち込んだ平成3年頃から始まったとはとても考えられない。
したがって、「景気が悪い」からというのは、一因ではあっても根本的な原因ではないのではないだろうか。
次に「公共事業などで、大量の税金を無駄遣いしている」という意見について。
現在、政府の借金は、だいたい400〜500兆円ぐらいと言われている。これがすべて、戦後50年の間に行われた無駄な公共事業でできた借金だとすると、毎年8〜10兆円程度の無駄な公共事業が行われていなければならない。
さて、10兆円とはどのくらいの金額であろうか。おおざっぱに言って、10兆円あれば、4車線の高速道路が2500kmできる。(1km当たり40億円と計算して)
あるいは、今問題になっている吉野川可動堰と同じものが100基できる。
これが毎年である。戦後50年だと、吉野川可動堰5000基分になる。
こう考えると、今の政府の借金が、公共事業による無駄遣いで起きたと考えるのはあまりにも無理があるのではないだろうか。そう考えるならば、今、私たちの身の回りにある道路や上下水道、河川の堤防のほとんどが無駄で必要ないものということになる。
したがって、「公共事業による無駄遣い」というのは、やはり一因に過ぎないのではないだろうか。
それでは、なぜ政府はここまで借金漬けになってしまったのであろうか。借金をする理由は「入る金より出る金が多い」からにほかならない。いままで、「出る方」の金についてはおおむね検証したが、改善の余地はあるものの借金漬けの根本的な原因ではなさそうである。
私は、なぜ、国の財政がここまで悪いのか、いろいろ考えてみた。そして、あるとき、ふと、思いついた。
− 「出る金が多い」のではなくて、「入る金が少ない」のではないか −
「入る金が少ない」理由は次の2つが考えられる。
1 税金が安すぎる。
2 税金がきちんと取られていない。
私は、両方あると思うのだが、特に、税金の徴収がうまく行われていないことが重要な気がしている。これについては、きちんとした資料がないので、はっきりは言えないが、思いっきりおおざっぱに考えてみる。
日本の国内総生産は500兆円程度である。さて、日本のサラリーマンで、夫婦2人+子供2人で年収1000万円といえば、かなり裕福な方の家庭だと思っていいだろう。仮に、これを日本のサラリーマンの平均としても、1人当たり250万円、国民全体で300兆円である。すると、残りの200兆円は、おおざっぱに言って企業の収益と考えられる。
そうすると、企業が払う法人税の平均を30%としたとき、法人税収は60兆円になっていなければならないはずである。さて、今の日本で、法人税はいったいいくら国庫に入っているのか、ちょっと調べてみたら、なんと10兆円程度であった。いくらおおざっぱに考えているとはいえ、これは明らかに少なすぎはしないか。
このように考えていくと、日本の財政がここまでひどい状態になった最大の理由は、「ちゃんと税金を徴収していない」というのが一番大きな要因のようである。消費税にしたって、国民は25兆円払っているはずなのに、国庫に入っているのは10兆円程度である。財政再建のため、支出の抑制や公共事業の再検討も結構だが、まず、「税金をちゃんと徴収する」ことが大切なのではないだろうか。
・2000年1月31日
とうとう1月も終わってしまった。早いものである。21世紀まであと11ヶ月である。
ところで、ことしは西暦2000年、ミレニアムということで、日本の政府も、ミレニアムにちなんでいろいろなことをやろうとしているようだ。だが、ここに何か引っかかるものを感じてしまう。
日本の正式な暦は元号である。つまり、今なら平成12年というのが日本の正式な年の表示である。そして、日本の政府は、今でも元号にこだわり、役所の公文書の日付は必ず元号表示でなければならない。
それなのに、そこまで元号にこだわる日本政府が、なぜ西暦2000年をミレニアムと言って特別視するのだろうか。今度の通常国会での施政方針演説でも、「ミレニアム」という言葉がたびたび出てきた。それじゃ政府が今まで偏執狂的に元号にこだわっていたのはいったい何だったんだろうか。
もっとも、私はこの日本人の無節操さが大好きである。よく、日本人は、正月には初詣(神道)、12月にはクリスマス(キリスト教)、葬式は仏教と、宗教に関して無節操であると言われており、事実そのとおりである。実は、この宗教に関しての無節操さは今に始まったことではないらしい。
確か、奈良時代か平安時代かだったと思うが、日本に仏教が入ってきた時のことである。その当時は日本には神道という宗教があり、仏教は異教であった。しかし、その当時の天皇(何天皇だったか忘れてしまった。今度調べておこう)は、こう言って、仏教を受け入れたそうである。
「朕は、神を信じ、仏を敬う」
いろいろ論議はあるだろうが、私はこの言葉が大好きである。
さて、この話には続きがあるのだが、昨日が長かったので、今日はこのくらいにしたい。
・2000年2月1日(火)(2月分だが、関連があるので、ここにもあげています)
今日から2月である。ということで今まで見にくかった背景を見やすく変えてみた。
今日はいろいろあったのだが、とりあえずここでは昨日の続きをいってみたい。
昨日は、日本人は宗教的に無頓着、よく言えば寛容ということを書いたと思う。実際、日本人には、異教徒に対する憎しみが理解できないだろう。1年ほど前、私は「千夜一夜物語」をちゃんと読んでみようと思って、文庫本を買ってきたのであるが、その物語の内容があまりにもひどく、読む気をなくしてしまった。というのも、物語の至る所に、これでもかという具合にキリスト教の悪口−それも読むに耐えないほどの汚い言葉で−が書かれていたからである。別に、私はキリスト教が好きなわけではないが、その汚い言葉は好き、好きでない以前に不快感を覚えるものであった。
これほどに、世界の多くの国の人々は異教徒に対して、憎しみ、そこまでいかなくても違和感を感じているのに、なぜ日本人は(いろいろな宗教を生活の中に無節操に取り入れて)違和感を感じないのだろうか。考えてみた。
ちょうど、テーブルトークRPG(ロールプレイングゲーム)の本に、この宗教について書いてある部分があって、なぜ、異教徒を嫌うのかについて、こんなことが書いてあった。
−違う宗教を信じている人は、何をするか分からない。いきなり生け贄になんかされたらかなわない−
思うに、世界の多くの場所では、自分と他人の価値観が異なるのが当たり前である。それも、場合によっては、人を殺してはいけないとか、人のものを盗んではいけないとかいうレベルですら、価値観が共有できないという状態みたいである。このような状態では、相手を信用することなどできない。下手すればいきなり殺されるかも知れないのである。
そこで、宗教というものが彼らにとって大きな役割をしていたのではないか、と推測されるのである。同じ宗教を信じている限り、その宗教の教えの範囲内では同じ価値観をもっているということができる。たとえば、宗教で「人を殺してはいけない」という教えがあれば、その宗教の教徒である以上、いきなり殺されることはないだろうと思っていいわけである。こうして、人と人の価値観の標準として、宗教が位置してきたのではないだろうか。であるから、違う宗教を信じている人との間には、価値観が相容れない→仲間として認められない→敵対という構図があるのだと推測される。
さて、日本ではどうだろうか。基本的に日本は島国で、民族も単一に近い。そのため、宗教に頼らなくても、日本人同士の価値観の同一性というのは、結構簡単に導き出される。つまり、日本人は、日本人であるというだけで、価値観をある程度共有できるという他の国にはない特徴を持っている。
そのため、宗教が異なることが、価値観が相容れない→信用できない→敵対という構図を描くことがない。これが日本人が宗教に無頓着でいられる理由ではないだろうか。
その証拠に、日本人は未だに外国に対しては排他的である。これは、「日本人であること」が、世界の多くの人の「宗教」にあたるものだと解釈すれば、外国人が異教徒に対してとる態度と、日本人が外国人に対してとる態度が同じような感じになることは容易に理解できるのではないか。
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