TOPへ   
前号までのあらすじ
 大学生、宇田川剛はある日、悪夢を見た。
 何故かゴーストバスターズのハゲという配役である。
幸いなことにすぐに目覚めたが、悪夢の切れ端を
スッキリさせようと浴室のドアを開けた瞬間、思考の
全てが霧散。
 目の前に二本足で立つ、巨大ウサギがいたのだ。
 ウサギは、宇田川に畜舎の番号となにかの番号
を告げた後、にやりと笑う。
 宇田川の意識は、そこで途切れた。


 「例えば仰向いて、手を胸のところで組んで寝てたり、
  うっかり部屋と部屋の境目に寝ちゃったり。

                  第2回  野崎


 遠くから、俺の大嫌いな犬達の鳴き声が微かに聞こえた
気がして、俺は草を食べていた体勢から体を起こした。
 羊畜舎から思い切り外れたこの岩場の後ろは、日こそ
射さないものの何故だか少し塩味が濃くて、俺の大好物だ。
 今の季節は初冬。雪がまだ浅いうちに、積もって根雪に
なる前に、ここの草を食べられるだけ食べておこうと思い
立って、勝手に畜舎を抜け出したのはまだついさっきの
ことだ。
 真夜中、他の羊たちが寝静まった畜舎をこそこそと
抜け出すスリルは一回味わったらやめられない物になる。
 まぁ普通、羊は畜舎を抜け出しはしないだろう。俺は
特別に賢いからそういう事も出来る訳だけどね。
 思いつつ、遠くを伺う。もしもこんなに畜舎から外れた
ところで野犬に見つかったら、そこで俺の短い生命も
お終いだからだ。例え野犬じゃないとしても、牧羊犬の
奴らっていう可能性もある。コレがまた、大概うるさいん
だよ。
 ところが、警戒しつつ見ていると、どうやら犬は犬でも
そりを引いてるらしい。岩場に隠れる格好になってる
俺からは、四頭立ての犬ぞりがはっきりと見えた。
 夜中だって事を考慮しても結構すごいスピードで、
そりを畜舎の方へ向けて走らせている。乗っているのは、
人間の老人が、ただ一人だけのようだった。
 好奇心に駆られて、そりが過ぎ去った後を風下へゆっ
くりと回る。幸い、そりは本当に急いでいるらしく、
後ろを振り返りもしなかった。
 しゃく、しゃく、と慎重に歩いても、雪を踏みしめる
音は響く。特に犬は嗅覚と同じくらい聴覚も敏感だから、
俺も内心は冷や冷やした。それでも。
 何かを知りたい欲求ってのは、強いものなのさ。

 そりの後を辿っていくのは、そう大したことではなかった。
雪がまだ浅いから、そりが通った所ははっきりと土が見え
ていたし、逆にそれで足音が響くようなこともなかった
からね。
 俺の思ってた通り、そりはまっすぐに畜舎に向かって
いた。奇妙なのは、畜舎の入り口にではなく、裏手の方に
向かっていたことだろうか。わだちは乱れてもなかった
から、躊躇いもなく裏手に回ったって事になる。
 何もない畜舎の裏になんて、何の用事なのか。
 好奇心はますます持って強くなり、同時に警戒心も
大きくなっていく。少し考えた後、俺は畜舎に入った。
 この中からなら、もし立ち聞きがばれても、どの羊が
聞いてたか、なんてわからないだろう。老朽化してる
畜舎には、立ち聞きのための隙間なんて山ほどある。
 耳を澄ませて忍び足で畜舎の通路を通る。壁から声が
聞こえたところが、立ち聞きのポイントだろう。他の羊
たちなんて、気にするまでもなかった。どうせコイツらは
喋ることなんざ出来やしない。長老は確かに喋れるが……おや?
 何の気なしに畜舎一番奥、通称「長老」の柵に目を
やった俺は、そこにいるはずの長老の姿がないことに
思わず立ち止まった。コンマ一秒で、では、外で話をして
いるのは長老とあの老人なのだと言う考えが浮かぶ。証拠
も何もないが、確信があった。ドクリ、と心臓が跳ね上がる。
 目を閉じ、今までよりも集中して会話の切れ端を探る。
 驚いたことに、俺の房の近くから声は聞こえていた。
 よしよし、イイ感じだ。
 眠たげな羊たちの間をすり抜け、壁にぴたりと体を
寄せる。耳をつけると、想像以上にクリアな声が聞こえ
てきた。
 「……では、さしせまった行動は、ここでは見あた
らない、と言うわけだな」
 聞き慣れない声は、あの老人のものだろう。見かけ
よりは張りのある声で、芯が通っているしゃべり方を
している。良く通る、イイ声だ。
 「そうじゃ。ワシらは、何の疑問も持っておらぬ。
そう言うふうになっておる。羊じゃからのぅ」
 そして、このしゃがれ気味の声は長老だ。年寄り臭い…ま、
実際に年寄りだからしょうがないんだが…抹香臭い
しゃべり方をする、俺の尊敬する羊だ。穏やかで、
あまり目立たないが、いざというときのその決断に
間違いは無い。
 この五番畜舎の中で、俺の他に唯一、喋れる羊でも
ある。
 「羊。言い得て妙だな。お前達は黙って毛を刈られ、
乳を搾られ、食肉となる。唯々諾々とな。それこそが
お前達家畜の特徴だ。
 しかし我らは違う」
 淡々と続けられるその声は、それでも十分な誇りを
はらんでいた。きっとこの言葉を言った瞬間、彼は
傲然と頭を上げていただろう。自分が自分の王である
ことを確信して、揺るぎなく。
 だが、聞いている俺は混乱の極地にあった。
 なんだ?オオカミだ、家畜だ、羊だ?…我ら?
 ……長老は、一体「誰」と話をしてる?
 疑問が暴走しようとするのをこらえる。とにかく、
もっと情報が欲しかった。
 「我らオオカミ族は反旗を翻すモノ。従う種族では
ないのだ。なんにしろ、支配は好まぬ」
 「それは承知しておる。従うことが我らの特徴である
ならば、その反対側にいるのがお前さん達。それは、
今更確認するまでもないじゃろうよ」
 「……長老よ、何故、我の言うことを受け入れるのだ」
 不意に、オオカミ族であろう彼が、声を訝しげなもの
にして聞いた。ん?こういう風に聞くって事は、オオカミ
は長老とあまり会ったことがないのか?
 気配だけで、長老が苦笑した。
 「ワシは、オマエの良心を良く知っておるよ、シン。
二人とも勇敢で、誇りを持っておった。ワシは…」
 軽く咳き込んで続ける。
 「あの二人の死に様を、はっきりと覚えておる。無論、
お前さんの小さい時も、な。それが理由じゃ」
 「……それは理由になっていないぞ、長老。我が聞いて
いるのは、何故、我の言うなりに家畜共の動向を報告して
くれるのか、何故、両親の遺言それぞれに貴方の名前が
出てきたか、だ」
 「シンよ、疑うことは己の身を守るが、過ぎた好奇心
は身を滅ぼすぞ」
 ピシリ、と空気が鳴ったような気さえさせる、そんな
声で長老がたしなめた。過ぎた好奇心ではない、当然の
用心なのだ、とオオカミの彼…シンという名前だろう…が
返すのに、好奇心は、としゃがれた声で長老が諭す。
 「程々にするがいい、シンよ。ワシに出来るのは情報
を伝えることだけじゃ。…もう一度言うぞ。この五番
畜舎も含めて全七畜舎のうち、喋ることが出来る家畜は
ワシともう一匹、九○一と番号の付いた、雄の羊だけじゃ。
その彼もな、ワシが気を付けて見ておるが政情に興味は
無さそうぞ。
 大体、興味なんぞあるわけは無かろうよ。お前さんが
天皇暗殺を仕掛けたとて、ワシらにとってはアタマが
変わるだけ。日々は、存在意義は変わらんのだからのぅ」
 ぐらり、と頭を強くはたかれたように視界がぶれた。
 ……なんだと?今、長老はなんて言った?
 「お前さんが警戒しておるのは、現天皇を首尾良く呪殺、
崩御の後、家畜どもが騒ぎ立てることじゃろう?第一畜舎
の牛から始まり第七の山羊まで含めれば、確かに大した数
じゃ。しかしそれらはワシが抑えよう。対した手間でなし、
喋る家畜なんぞ、彼を除けば他にはおらん。…これでやっと、
ワシもあの二人の役に立てる」
 最後は呟くように、長老は言いあげるとホッと息を付いた。
まるで、背負っていた荷物が案外と重たかった時のように。
 そして、しばらくは沈黙が続き、と言っても混乱して
いた俺にとっては長い時間だっただけで、ヤツらにとっては
ほんの少しの時間だったのかもしれないがね。
 躊躇いがちのシンの声に被さるように、長老が会話する
のが聞こえ、ハッと俺は我に返った。
 「決行は二日後だ、長老。渋谷の…」
 「それは言わない方がイイだろう、シンよ。知れば何か
したくもなる。ワシは、何も知らない方を望む」
 「……そうか、では」
 言うなり、シンが動く気配がする。慌てて俺も、自分の
定位置で偽の眠りにつく。
 それから間をおかず、長老の足音がした。ゆっくりと
通路を過ぎ、静かに房に戻る。
 ふぅ、という溜息は、やはり静かに聞こえた。

 長老の溜息がいつしか寝息に変わるまで、俺は咳払いも
出来なかった。ぐるぐると、すごい勢いで自分の思考が
フル回転するのがわかる。
 今、聞いたことが信じられなくて理解出来なくて、
さっきまでのことはみんな嘘だと自己暗示をかけたくなる
ほど、それはショックだった。
 ……シン、と言うオオカミが言っていた事は、本当
なのだろうか。
 天皇暗殺。呪殺。
 こうして考えているだけで、随分と重い言葉だ。
 いや、それよりも気になることは、長老の言葉だろう。
 長老の他に喋ることの出来る羊、ってのは俺のことだ
ろう。では、九○一という番号は、俺の番号なわけだ。
九○一…五番畜舎……。…あ。
 事実と想像と推理の奔流の中で、あのデカウサギが
またにやりと笑った。
 「どうです?悪夢の気分は」
 以下、謎をはらんで次回に続くのデス。
 ついてこられるか? 

TOPへ