彼の日常、恋心。 1
                       野崎
 ゆっくりと、目を開ける。
見慣れた天袋が見える。何年も寝起きしてきた押入の天袋入り口は、
実はぴたりと隙間にはまらないことを彼は知っている。
多分知っているのは彼だけだろうと思うが。
 襖を閉めているから押入の中は薄暗い。それでも、自分が初めて
未来に帰るふりをした時にのび太が書いた落書きは見て取れた。
 "ドラえもん"
 ……たった一言では何が言いたくてソレを書いたのかは分からない。
やはり根本的な所でのび太はズレている。
 ゆっくりと、目を開けた時と同様に、ドラえもんは身を起こした。まるで
空気が動くことでこの濃密な空気が外に漏れることを恐れているかのように。
 ただいまの時刻は十二時十五分。体内時計は時刻をそう告げた。
ママさんはお昼の番組を見てから掃除に入る。のび太の部屋はもう、
午前中にしてあるし、夕飯の買い物はドラえもんがもう済ましてあるから、
のび太が学校から帰ってくるまではここに来ないだろう。それでなくとも
二階への階段がきついためにママさんは滅多にのび太の部屋に上がって
こない。

 のろのろとドラえもんは自分が座っている布団の足下をめくった。そこ
にはポスターが貼ってある。いや、ドアが書かれてあるポスター型のそれ
は、空間利用のために発明された未来の道具だ。ドアノブを引くと自分
だけの部屋が待っている。
 本来壁に貼る物を床に貼っているのだから当然入りにくい。後ろ向きに
階段を下りながらドラえもんは、今日は誰の分を調べようかと考えた。


 
 ドラえもんの収入は、基本的には過去帳を作ることで得られている。
……過去帳、つまり自分の親は誰々で、その親は誰で、いつくらいから
その土地に住み始めたか…などの情報を記した物のことだ。
しかし別にその道のプロでもないドラえもんが作るのはしょせん、簡単な
物なのだが。
 大体、どうしてこんな事を始めたかと言えば、収入の問題なのだ。時々は
セワシが買ってくれるものの、基本的に自分の道具は自分で買いたいし、
かと思えば道具自体の値が張る物もある。メンテナンスだってただではない。
 ママさんがくれるお小遣いでは足りないときに頭をひねって考えついた、
このアルバイトは今のところ順調だ。 
 未来とパソコンを繋ぎ、自分の家の過去を知りたい人達を客として商売する。
過去帳を作るというよりは過去専門の探偵もどきなのかもしれない。
未来を変えてしまうようなことのないため、タイムパトロールの監視と自分のなか
にある厳しい良心と戦いながら、ボクは日々の精進を重ねている・・・ってとこか?
 くすりと笑ってドラえもんは階段を降りきり、部屋の明かりを付ける。精進は
ともかくとして、のび太にはこれは内緒のバイトなのだ。仕事にかけられる
時間はおのずと非常に限られてくる。今日のノルマを早目に済ませようと、
パソコンを立ち上げたときに、机の上の写真立てにふと目がいった。途端に
意味もなくうろたえ、それを引き出しにしまい込む。
彼を見てしまうと、そう、それが写真でも、ついついそこに移っている彼から
目が離せなくなるのは本当に困った癖だ。
 けれども、取りあえず彼に関する楽しい想像は、今はやめておいた方が
いいだろう。横になれば三秒で眠れるというのび太の寝顔は、本人の性格
そのまま無邪気だ。
 何とも言えずに優しい目をしたドラえもんは、パソコンが立ち上がる前の
準備として隣室のドアを開けた。自動関知して付いた照明に浮かび上がる
一体のアンドロイド。
 今の自分の団子の手では細かい作業をしづらいという理由から、バイトを
はじめて初の収入で真っ先に買った物だ。万が一のび太に見つかった時の
事を考え、未来で手に入るうち一番人間に近い物を選んである。デパートで
特売品として売っていたそれは確かに高かったが、体温を持ち、人間として
おかしくない体重を備えているタイプとしては安い方だろうと思う。そう、つまり
セクサロイドとしても機能できるタイプとしては。
 ドラえもんは、手慣れた調子でアンドロイドの電源を入れると記憶のリンクを
始めた。まるで漫画のように半端でおかしな形の帽子を被り、アンドロイドに
異常がないかのチェック、また自分の精神が安定(どういう意味だろうといつも
ドラえもんは思う。自分がロボットな以上、安定でないことなど考えられない
のだが・・・)かどうかの確認、それが終わるとモニターがオールグリーンに変わり
リンクが始まる。ゲージが零になれば、もうドラえもんは一体のアンドロイドと
して活動が出来るというわけだ。
 ゆっくりと目を開ける。この体に関わらず視界から得られる情報はいつだって
大量だから、どの機械も最初に目を開ける仕草はゆっくりとしたものになる。
異常がないのが分かっていてもそろりと体を動かすのも同様の理由だ。
 「・・・おはようございます」
 誰もいない空間に挨拶をする、その声も勿論変えてある。少し掠れ気味の
優しいバリトンだ。少しでも人間にとって不快な情報を持っていないのがセク
サロイドの最低条件だから、もしかしたらそれは当たり前のことかもしれない。
 頭に被ってあった電極帽を外す。
 目の前にある自分の二頭身の体を見るとなんだか不思議な感じがする。
いつもの事ながら生まれ変わったような気持ちになるのだ。手も足も軽く普段の
倍の距離を稼ぐし視点も違う、作業効率だって随分と上がる。
 大股に、既に立ち上がっているパソコンに向かう。依頼は今のところ十五件。
多いのか少ないのか分からないが、これから減る可能性は少ないだろう。
もともと、過去帳を作るなんていう同業者の数が少ないのと、確実性がそうさせる
のか、掲示板には依頼が絶えたことがないからだ。
 何故自分のルーツなぞ知りたがる。
 ふふん、と馬鹿にしてしまうのは機械の思い上がりという奴なのかもしれれない。
 機械には過去がない。今、ドラえもんが借りの肉体にしているアンドロイド型
ロボットなら尚更、前に仕えていた主人の記憶は抹消されるだろうが、それを
悲しむ機械はいない。オリジナルのドラえもんのようなお手伝い用ロボットだって、
制作者のデータは犯罪を犯したアンドロイドの性格を調べるため必要になる
場合があるから消されてはいないものの、それにしたって制作者の趣味や性格
までも知っている訳でもないし、知ろうとも思わない。
 それは自分の存在意義が常にあるからだ。過去はどうでもよく、今、自分が
どれだけのことを主人に出来るかが彼等アンドロイド、いやロボット全体として
の命題となる。
 『おじいちゃんの青年時代最後のロマンスを、調べて』
 ・・・それを調べて何になるのだ。自分に実は叔父、叔母がいたらそれで満足
なのか。新しい家族を迎えるために?
 それは嘘だろう。本当の理由は財産分与の為。
全くもって、人間とは自分自身にも嘘が付ける希有な存在だ。
 
 …ばからしい、今はとにかく、仕事をしなくちゃ。
 何もかも計算された照明とディスプレイ。快適な温度と適当に難しい仕事。
やりがいもありペイのいいなんて滅多にない。
 ちらりと笑ってドラえもんは猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。音声よりも
圧倒的に手入力の方が早い。
 早めに、ノルマを済ませたかった。



 軽いアラームがキーボードの横で鳴る。びくりと体を揺らせてドラえもんは
我に返った。ディスプレイは文字で黒く見えるほど埋まっている。スクロール
しても黒いままの画面に、つい苦笑がわいた。依頼人に送るときにはもう少し
読みやすい画面にしなければならないだろう。論文でないのだから。
 …何にせよ、それは夜の作業にした方がいいだろう。いつもよりも没頭して
しまったせいで、のび太が学校から帰ってくる時間ぎりぎりになってしまっている。
 手早く、まとめた報告書をプリントアウトしてセーブし、パソコンの電源を落とす。
セットしておいた目覚ましがオフになっているか確かめ、オリジナルのドラえもんと
入れ替わるために小部屋での作業を行う。出てきたときにはいつもの通り、青い
彼の躯体だ。書類をまとめて引き出しに突っ込んで部屋全体の照明も落とし、
足早に階段を上る。ドアを布団で隠し終えたとき、ジャストタイミングでのび太が
ドラえもーんと大音量で泣きながら帰ってくる。
 今まで昼寝をしていたように装いながら、ドラえもんはセーフ、と口の中で呟いた。

  TOP  Novels Top