彼の日常、恋心。  2
                       野崎


 「ドラえもーん、スネ夫ったらひどいんだよぅ」
 のび太の台詞は涙と鼻水で全部が濁って聞こえる。
 土左衛門としか聞こえない自分の名前も、ズネ夫と呼ばれる
その名前も、もう聞き慣れた。
 いつまでも慣れないのはこの不整脈だろう。いや、機械である
ドラえもんに脈はないので、…では何かと聞かれれば困る。
ちりちりと回路が焦げていく感じ…もしくは局部的なショート、という
感覚なのだ。ぱしりと内部で音がしたように感じられることもある。
それが、のび太の口から出た他人の名前に反応しているのだと
気が付いたのはつい最近だ。特に出来杉の名前を口にされると、
つい自分でしっぽを引いて非常停止した方がいいのではないかと
思う時がある。
 「どうしたんだい、のび太君。すね夫って事はどうせまた、何か
自慢されたんだろう?」
 まさか機械にそんな感情があるなんて知らなかったから、当時は
随分と原因を探ったものだ。原因不明だと何回掛けても出る解析
結果に心底悩んで、アンドロイド専門の精神科医に予約を取りかけた
こともある。もっとも、たかが猫型のお手伝い用ロボットにその権利は
与えられなかったが。
 「そーんーなー言ーいー方ぁ」
 「あぁもう、泣いてちゃわかんないでしょ!」
 簡単に症状を医者に話し、自分が猫型ロボットだと分かると金に
ならないからか彼は簡単にこう言った。『恋です。感情回路にバグが
生じてます。早急にそのバグを取り去ることをお勧めします、では』
 そして回線を一方的に閉じた。
 「…軽井沢の、別荘が欲しいよぅ」
 今でも思い出すとむっとくる。どうもドラえもんは外見だけでなく
欠陥ロボットだったらしい。感情回路がやけに人間らしいのだ。
喜怒哀楽全部があり、実に細やかにその起伏をたどることが出来る。
 まさに欠陥だろう。
 「急に言ったって買える訳無いでしょう?」
 というよりもそれ以前に、パパさんの収入では無理だと言いかけて、
はっと今の会話に戻る。のび太との会話は繰り返しが多いのと、
言いたいことが大体決まっているので無意識に返事をする場合が
多いのだ、特にこの恋心を意識し始めてから。
 「だってスネ夫の奴、キュウカルでスキーしたんだってビデオ見せ
ながら自慢するんだもん」
 「キュウカル…旧軽井沢ね。のび太君、それがどこか知ってるの?」
 「…知らない」
 唇を付きだして拗ねるのび太にドラえもんが二重の意味で目眩を覚える。
 うう、のび太のあまりの馬鹿さに惚れたなんて、それこそ馬鹿らしい。
 「…スキーに、行ければいいの?」
 言いながら、ドラえもんだって分かっているのだ。のび太のお願いや、
わがままをを叶える比率がこのところ急上昇していることは。
 しかしその原因を考えるだけの勇気はドラえもんにはない。よって
是正(この言葉がすんなり出てきたのでドラえもんは少しだけほっとした。
のび太とつきあっていると幼児化が進むのだが、言語、思考中枢までも
退化するわけには行かないのだ)も無い事になる。どう考えてものび太の
成長にはマイナスなのだが。
 「んもぅ、今度だけだよ」
 なんて言いながらごそごそと四次元ポケットを探る。
 ……この瞬間のきらきらとした目に弱いのだ。
 期待に満ち、自分の願望が叶うことへの素直な感謝が、眼鏡の反射と
いうわけでなくのび太の目を輝かせ、そしてドラえもんはその必要もない
のに次々と類似した道具を買う羽目になる。本当に、未来デパートに
とっては上客だろう。
 取りあえず今回は室内用のスキー練習セットを出す。格好いいところを
見せたければまず練習あるのみと言うわけだ。内心の予想通りのび太は
渋ったが、そこまで甘やかす気はドラえもんにもない。少し厳しく叱って
何とか言うことを聞かせることに成功する。



 大体の格好が付いてきたところでこれまた予想通り、のび太のブーイング
が出た。お姫様は今度は景色が変わらないのがご不満らしい。どうして
そんなに贅沢な注文を、と形だけ小言を言いつつ大きなスクリーンと体感機を
出す。しかし、のび太はこの自分の手回しの良さを不思議に思わないのだろうか。
 たまにならいざ知らず、ほぼ毎日のことだからと思って流しているのだろうか。
 いつか、もしものび太が人間として成長すれば、どんなに自分が甘やかされ
ていたのか、ぬるま湯のような愛情に首まで浸かっていたのか、理解してくれる
日が来るのだろうか。……ふと思って慌てて自分で自分に渇を入れる。
 ドラえもんが、そう自分が!のび太君をそういう風に育てるんじゃないか!!
 何を弱気なことを!
 未来から来た自分の目的は、駄目駄目な未来ののび太を少しでも普通の
人間にすることなのだ。恋なんてバグ…バグ……。
 はぁ、と大きくため息をつく。幸いのび太には気づかれていないようだ。スキーの
練習に夢中、と思いきやスクリーンに映し出された映像に釘付けになっている。
 「どうしたの?」
 「ドラえもん。この人…泥棒…かな?」
 何とも歯切れの悪い口調に知らず自分も映像をまじまじと見る。
 画像を適当なところに設定したおかげで場所は特定できないが、どうやら
どこかの別荘地だったらしく、小振りなログハウスや瀟洒なペンションらしき物が
あちらこちらに点在しているのが見て取れた。
 スキーの練習(映像だけだが)が出来るくらいだから、勿論雪景色に覆われている。
のび太が指さしているのはそこを一人で歩いている男だ。見ているうちにふと
違和感を覚え、注意深くドラえもんはその映像を見直した。白いダウンジャケットに
白いスキーズボン。少し洒落た若者なら別におかしくはない。
 おかしいのはその表情なのだ。随分と寒いだろ
うにどこかうっとりとした顔で建物群の中でも少しはずれたログハウスに向かっている。
何がおかしいのか一人でくすくす笑ったりしている。
 何気なく男の片手をチェックしかけてドラえもんは仰天する。その手には大振りな
サバイバルナイフを剥き出しで持っているのだ。
 「こいつ、さっきからその家の周りをぐるぐる回ってるんだ。最初は怒って何か
言ってたみたいなんだけど、その家に明かりがついた途端に頷いて、にやにや
してるし」。
 のび太の、警戒心あらわな声を聞いて少しだけ緊張する。無邪気なのび太には
どうも悪人が直感的に分かるらしいのだ。映像に映るこの男はどうも悪人らしい、
けれどそれにしてはどうも…というところだろう。確信が持てないためドラえもんに
確認をもとめているという訳だ。
 「声を聞いてみよう」
 状況を把握し、間髪入れずに次の指示を自分に向かって出す。この男がどんな
内容のことを呟いているのかが分かればもう少し状況もつかめようと言うものだ。
 別にドラえもんだってのび太さえ良ければ後はどうなってもいいと思っている筈も
無く(多分にそういう所はあるが)、真剣な顔になってスクリーン横のパネルを調整
する。タイミング良く何か男がこぼしてないかとの希望は、運良く叶えられたようだ。
 『もうすぐだからね。僕が助けてあげるから』
 甲高い男の声が聞こえて、ドラえもんはのび太と顔を見合わせた。青くてまん丸い
顔が同じように疑問の色を浮かべてのび太の瞳に写っているのが確認できる。
 「・・・ドラえもん、おうちの中も見えるかなぁ」 
 のび太の提案に、それは本当は犯罪だよ、という突っ込みは理性の片隅でして
おいて、しかし現実には黙ったままドラえもんはまたパネルを調節した。画面が
切り替わってログハウスの中に焦点が写る。
 ……GPS、つまり衛星を利用しているこの機械はドラえもんが購入しているので
当然、未来の物だ。本来ならばタイムパラドックスが生じてもおかしくはないのだが、
いやそれよりも、たかが衛星を仲介しているだけで家の中までなんて、本当は
覗けないハズだ。
 なのに何故それが出来るかといえば、それはドラえもんが権利を買ったからだ。
軍事目的以外に、マージンを取って研究予算を増やそうと画策した未来の
NASAが、インターネット上で売っている権利を。
 この権利については現在、つまり今のび太が小学五年生であるこの現在から
極秘裏に推進中だったらしく、パスワードも変わってないままなので現代でも
使用できる。
 大体が、ごく限られたユーザーのための装置なのだ。ドラえもんの、過去帳作
成というアルバイトのような職種、のび太のようにしょっちゅういろいろなトラブルを
抱えている人間でければ権利代が馬鹿らしくて払っていられないだろう。
 プライバシー保護のためとして様々な規約も厳しく存在しているし。
 …機械について猛烈な勢いで思考を回転していたドラえもんは、のび太に話し
かけられた気がしてハッと我に返った。
 思考が横にそれた。そう謝ってのび太にもう一度聞く。
 「うん、だから、ここに行こうと思って」
 真剣な顔でドラえもんの肩を掴み、のび太が答える。
 「のび太君、でも」
 「無茶かもしれないけど、僕にはさっきの男の人を止めた方がいいと思う。この家に
いる女の人はどうもこれから誰か来るかもって怯えているみたいだし、男の人は
守ってあげるって言ってるし。なんだか、嫌な予感がするんだ」
 普段あれだけ意志薄弱なのび太が、時として妙に頑固になる。ぼけぼけした
ところが消え、りりしさまでもが見え隠れする。
 ああ、こんなところにも惚れたんだよ。
 こんな非常事態にさえのび太に見とれる思考に、とほほな気持ちを味わいながら
ドラえもんも頷く。


 ポケットから何処でもドアを出しながらちらりと、夕飯までに帰れればいいな、
と思う。
 今日の夕飯は、おつかいに行かされたドラえもんが知っている。
 のび太の大好きな目玉焼き付きハンバーグなのだ。




 「・・・・・・はぁ、なんだか今日は疲れたねぇ」
 のび太は結局、目玉焼き付きハンバーグを三つも食べた。ママさんとパパさんの
嬉しそうな顔を見て、ドラえもんも何故か誇らしく思ったものだ。そして今は風呂上がり。
いやいやながら宿題も先ほど済ませたのび太が、布団の上に立ち大きく伸びをしながら
言った。押入の中でドラえもんも彼の布団の中から起きあがって答える。
 「そりゃそうだよ。のび太君大手柄だったじゃないか」
 「ええ、そうかなぁ?」
 照れて頭をかきながら、じゃ、電気消すよ、とのび太が部屋の照明を落とす。
 真っ暗な中、眼鏡を外して布団に潜り込むのび太をドラえもんは目で追った。
 最終的に、夕刻の大捕物は大人を通さずに決着させることとなったのだ。
 まず最初に、ドラえもんがナイフを手にした男の説得を試み、その男の心が病んで
いることを確認した。
 その後、着せ替え人形サイズに男を縮小し、別荘を訪ねて小さくなった彼を見せると
女の方が驚きと恐れを込めて男の身元を認めたのだ。一ヶ月ほど前からつきまとわれて
いたらしい。
 曰く、「君は僕の恋人だ。僕の気を引くための芝居はもういい。・・・それとも。
 その男につきまとわれているのだろうか」
 昨日届いた手紙の内容に女性は、やはり映像で見たとおりひどく怯えていたらしい。
 身に覚えのない男性からの、度を超した求愛が恐ろしく、どう考えても尋常でない
行動が普段行かない別荘への逃避、となったらしいのだ。
 しかしドラえもんにしてみれば、狙われているのがわかっていてわざわざ人気のない
別荘地に行くことは馬鹿げていると思う。いつでも近所の派出所に行けるように道のりを
覚えておくとか、前もって何かしら警官に言っておくとか有効な手段をこうじておくべきだろう。
今回被害がなかったのはただの偶然なのだ。のび太には、そう教えておこう。
 素早く眠りの世界に旅立ったのび太を確認して、ドラえもんは音を立てないように
自分の布団の足下をめくりあげた。下りにくい階段をゆっくりと降り、プライベートルームの
照明をつける。

 そう言えば、心を病んでいた男を改心させたのは、のび太なのだ。事情を聞いていた
のび太が何気なく聞いた、最後の一言で男はぐったりと座り込み、縮小されたせいか
聞き取りにくい声で泣き始めた。そしてそれをきっかけに少しずつ自分の異常さを認めて
いった。
 それからは拍子抜けするほど、簡単だった。
 だからやはり、それだけのび太の言葉が彼の病んだ心に響いたのだろうと思われる。
 『僕が一番不思議なのは、どうして好きなのに殺そうなんて思えたのか、です』
 どうして好きなだけじゃ駄目なんですか。
 まっすぐに、そして心底不思議そうに聞いたのび太の顔を思い出してドラえもんは
薄く笑った。もうすぐ人型アンドロイドとの接続が終わる。計器のオールグリーンを
確認して、凝ってない肩を回した。
 立ち上がっているパソコンを見て、今日のノルマを決める。昼間仕上げておいた
報告書の修正と、新しい依頼の手順をざっと書き出して依頼者にメールで送ること、だ。
 時間を忘れてしまわないようにアラームをセットする。そうしてから、それだけは
機械の長所だと言える思考棚上げしたままドラえもんは凄まじい勢いでキーボードを
叩き始めた。



 「こんなもの、かな?」
 今夜は思ったより仕事が速かったらしい。アラームが鳴るより先にノルマ終了だ。
メールを送信して、パソコンの電源を落とす。この体には多分あまり必要ないが、
ドラえもん本体には眠りという休息が必要だった。新型と旧型のせいなのか、もしかしたら、
もともとのロボット価格の差なのかもしれない。人間のように記憶を整理する時間がいる
のだ。ましてドラえもんは感情という、メモリを一番食うものの領域が広い。この体を使って
いる限り早々興奮しないのは本体のそういった欠陥が無いせいだろう。
 デスクの引き出しを開けて、仕舞っていた写真立てを取り出す。途端に、ゆっくりとだが
崩れ出す顔を止められないのが、いつも不思議だ。
 「のび太君」
 甘い声で呼びながら愛撫するように写真ののび太を指でなぞる。これと全く同じ
顔をして眠っているだろうのび太を思うと、ふんわりと体の温度が、ドラえもんの気の
せいでなく上昇するような気がした。セクサロイドとしての機械の体が、人間を抱く
準備を始めたのだ。このまま妄想などに身を任せると性行可能にまで局部が発達
する。
 …勿論、ドラえもんは男性体なのだ。
 しかし、別にそれで何をするというわけでもなし、不都合もないのでドラえもんは
体の変化をそのままにのび太との想像を始める。
 仕事が予定よりも早く終わったとき、ドラえもんはこうして絶対にあり得ない未来を
時々想像する。
 未来は変えられない。そんな事実を、彼は既に学習している。
 変わったように見えるそれは、どの時点からか発生したパラレルワールドなのだ。
その世界が辿るべき未来はいつでも決定している。たとえば世界が明日にでも
滅びてしまう、といった未来もあるかもしれないが、やはりそんな未来でも、幾ら努力
しても、時間の流れに人為的な作為は通用しない。タイムパトロールが防いでいるのは、
放っておけば余計にパラレルワールドが発生してしまうと判断する場合。
 当然、そのパトロールが存在していない次元だってどこかにあるのだ。
 そこまで理解していても、つい想像してしまう。
 たとえば成長したのび太と自分がいつまでも暮らしている未来。
 愛し愛されて、老人になったパパさんとママさんに囲まれて、今と同じようにみんな
幸せで。
 たまに、というよりドラえもんの希望だとごく頻繁に、やだドラえもん、声が聞こえちゃうよぅ。
聞かせてるの。のび太君可愛いから。・・・馬鹿ぁ。なんて会話をしたりして・・・・・・。



 アラームが鳴っているのに気が付いて素早く切る。
 今までとの想像と現実のギャップに舌打ちして、やや乱暴な仕草で写真達を
机の上に立てると本体と入れ替わるために小部屋に向かう。



 そして今日も、ささやかな日常が過ぎてゆく。
 押入に戻るための階段を上がりながらちらりと、いつか想像で我慢できなくなった
ときのことを想像する。
 それはどうも、遠い未来のことではないだろうとの予感が、した。
 
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