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まだ少し私の中で混乱しているので、文章がおかしいかも。
多分きっと、このことも後になって「ああ、アンナ事があってさ〜」
と笑えるようになるのでしょう。
早く、その日が来ることを待ってます。


私は、自営業の家に、望まれた長女として生まれてます。
自営と言っても、職種が電気工事なので他人を雇用して経営。
俗に、「社長業」と言われるアレなのです。

両親は実に過保護で(笑)、兄妹は裕福に贅沢に育ちました。
愛されているのを一度も疑ったこともなく、社会的に両親がスゴイ
ヒトなのも、認めてもいました。
性格的にはともかく、ね(笑)。
実際、私は彼らが好きではありません(笑)。



実家に帰る、帰らないに付いては、最初から、議論になり
ませんでした。
私は、「帰りたくない」を主張。
親は、「いいから帰ってきなさい」を主張。
お互いが、お互いの話を聞かないのです。平行線になるのは
火を見るよりも明らかでした(笑)。


実家に帰るメリットが、私にはありませんでした。
通勤時間に2時間(ラッシュ時は)、帰るのに1時間から、
1時間半。
18時に終わるような仕事ではないし、土曜日に休めるか…は
不明。
私には体力的に無理だ、と主張しました。
逆に言えば、それさえなければ帰っても良かったのです。
実際、4月から一時、帰ることに決めてましたし。
ただし、12月から3月までは一年で一番忙しい時期。
この時期では…と言い募ったのです。


それに対する親の反論は、
いいから帰ってきなさい、の一点張りでした。
このままじゃアンタは不幸になる。
ゼッタイに。将来、ひとりぼっちで寂しいよ?
と、繰り返し言うのです。

キツイのはあたしやし、ストレスを受けるのもあたしだよ?と
言っても、「構わないから帰ってきなさい。ストレスなんて、
そんなことは、問題やないんや」、と。
…何言ってるの?と私が混乱したのも、無理はなかったのです。
しかも、「束縛する気はない」、「そんなに体力的にキツイ日
があったら、ビジネスなり何なりに泊まりなさい」と言うのです。
金曜日に口論した時点では、母は
・帰ってきて、実家から会社に通いなさい。
・アンタを、外に出しても恥ずかしくないようにする。
・アンタは家事もろくに出来ないし、云々
……と言ってました。
しかし今聞くと、それとは、全く反することを言われたと思った
のです。

…ほんとにねぇ、母も私も、説得が下手ですよ(笑)。


私の混乱は時間が進むにつれてピークに達し、両親とは
全然、話が通じない状態に苛つきます。
両親は、何をしたいのかを説明していたようでしたが、私は
もう、混乱の極地にいるのです。
聞き入れられる状態ではなく、彼らの話は、私にはまったく
届いていませんでした。
疲れ果てた私は、奥の手を出すことにします。

「アナタ達がキライだから、一緒には暮らせません」

と言うと、彼らは溜息を付きました。「腐ってるね」と父が呟きます。
そこでタイムリミットが来たらしく、父は用事を済ませるために
宮崎県に。
残った母と私が話していたのですが。
母と私は良〜〜く似ていて、父よりもなお、話にならないの
ですよ(笑)。
で、いい加減にぶっつりと、私も堪忍袋の緒が切れまして(笑)。
「実家には帰ってきません」と宣言。
「もう、私のことは放って置いて下さい」と。
すると、
「放ってはおけないわ」
「迷惑ですから、もう関わらないで下さい」
「関わります」
「勝手にして下さい」
「いいえ、恭子ちゃんには、私達に関わって貰います」
「キライだから、関わりたくないと言ってるのです」
「いいんよ、恭子ちゃんは、私達をキライじゃないんよ」

……コレを繰り返されて、頭にこないヒトは、いませんて(笑)。
結局、たまたま家にいた弟に間に入って貰ってようやく、
その日の結論が出ます。
つまり、
・私が12月から家に帰ること。
・通勤が無理ならそれを一ヶ月かけて証明。
お話し合いを、しましょうよ。
と言うのが結論でした。
コレをだすのに、2時間半かかりましたよ(笑)。



近くの図書館で待っていた彼氏に連絡を取り……実は、号泣
する事があるかも、と、運転を危惧したのです(笑)。
ある程度は、納得のいかない結論を押しつけられて泣きながら
帰ってくる私の図、と言うモノが見えてましたし。
だから、お願いして一緒に行って貰ったのです。本音を言うと、
話し合いの場に第3者がいればなぁ、とも思ったのですがね(笑)。
それは言えませんでした(笑)。

家族に関わったときの、私の反応が尋常ではないことは、
うすうす自覚してました。
キライと好きの中間がないのです。
精神のジェットコースターを嫌う私は、最新の注意を払って
「家族と避けること」を選択してきました。
兄妹が、両親を『流せ』るのも、不思議で。
それも含めて、私の主観が入らない内に彼氏に話を聞いて、
判断して貰おうというのも、ありました。


私が泣きながら、さっきまでの話を終えると、彼は注意深く
言葉を選びつつ、説明してくれました。

「あのね、それは、両親がキミを育てようとしてるんだよ」、と。

私には、「逃げ」を取る傾向がある。
実際、キミは『流す』ことも、出来ないよね、と。
でも、本当はそう言う態度じゃ、社会には通用しないんだよ?
その意味じゃ、確かにキミは「将来、困って不幸になる」よね。
でも、今なら『流す』ことを、自分らが教えて上げられるから、
それで帰っておいで、って言ってるんじゃないのかなぁ?
それなら、キツイからって言っても、「だったら尚更、帰って
きなさい」って言うと思うよ。
キツイ時に、八つ当たりをしなくなるような。イヤな事も嫌いな
ヒトも流せるように。
それを身に付けるには、集団生活がてっとりばやいしね。
家族ならキミも、少しはラクやろうし(傷つけてもいいから)。

大意はそうだったと思います。
いやぁ、もうちょっと、……いや、かなり優しく、わかりやすい
言い回しでしたが(笑)。
で、ようやく私も、両親が何を言いたかったのか、理解したの
ですよ。
彼が言った言葉は、ほぼ、両親と同じ事でした。
そして、その事に気が付くと、すべてが氷解したのです。

それは、京極堂の説明で全てを打ち壊された、関口のような
心持ちでした(笑)。
足元が一度崩れ、今までのことが脳裡に浮かび、ああ、と
言いたくなるような(笑)。



両親は、私にとって「北風」だったのです。
「北風と太陽」のお話を、知らないヒトは多分いないでしょうから
説明は抜きますが。
幼いころからの積み重ねで、私にとって彼らはものすごく強い
「北風」であり、私は寒さに震える「旅人」だったのです。
北風が、いくら言葉を尽くしても。努力をしても。
旅人はコートを厚くするだけなのです。

で。
彼氏が太陽だったと言うのは照れますが(笑)、彼が説明して
くれなかったらずっと理解出来なかったでしょうから。
私にとっては、そうなのでしょう。
両親の思惑を私が理解した以上、実家に帰ることも納得しました。
でもやはり、体力的にキツイので(笑)、早めに大分市に戻ろうと
思ってます。
私が、両親を北風やと思っていることを自覚したので、当初よりは
早くに、戻ってこられるかもしれません。
こればっかりは、「過保護な親」に実績を積み上げないとね。

そう言うわけで、頑張ります。


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