“治療” と “治癒”

 例えば、誰かが細菌性肺炎に罹ったとします。かなり深刻な恐らくは生命を脅かすほど
の感染症です。その人は病院へ行き入院し、数日間抗生物質の点滴を受け、やがて回
復し、退院し、治ります。では、治したのは何か? 多くの医師も患者も治療のおかげで
治ったと言うでしょう。しかし、もうひとつ違った解釈の仕方があります。抗生物質のして
くれた仕事は、免疫系(自然治癒力の構成要素の一つ)が本来の仕事をやり終える事が
できるだけの状態になるまで侵襲する細菌の数を減らす事にあるのです。抗生物質の
応援がなければ、恐るべき数の細菌や細菌毒に圧倒されて感染を終わらせる事は出来
なかったかもしれませんが、実際に治したのは、そのひとの免疫系なのです。
 治療が施されようと否かと、全ての治癒に共通する最終原因は治癒系にあります。あ
る治療が効くとき、それは生まれながらに備わっている自然治癒力を活性化する事によ
って効くのです。治療は(薬剤や手術も含めて)治癒を促進し、治癒の障害物を取り除き
ますが、治療と治癒は同じものではありません。
 “治療は外から施され、治癒は内から起こってくるのです。”
 だからと言って治療を拒否して治癒を待つのは愚かな態度かもしれません。
 このことは、洪水に見舞われた宗教家の物語を思い起こさせます。
 洪水が家まで迫ってきましたが、主が救ってくださると信じてその宗教家はひた
すら祈っていました。水位が上がり屋根の上に避難しましたが、それでも祈りつづ
けました。手漕ぎボートに乗った男が二人、水浸しの家に近づいてきて、大声で
「乗り移れ」と叫びました。彼は丁重に断り、「主が救ってくださいます」といった。や
がて水位が膝あたりまできたとき、今度はモーターボートが助けにきました。彼は
答えました。「結構です」 「主が救ってくださいます」。ついには軍のヘリコプターが
飛んできて縄ばしごをおろしました。水位は首まできていましたが彼はヘリに手を
振って大声で「主が救ってくださいますから」と乗員に伝えました。次の瞬間彼は水
に呑まれ、もがく間もなく溺れ死にました。
 気がつくとそこは天国で、彼は創造主の御前に立っていました。彼は尋ねまし
た。「主よ、なぜ私を救ってくださらなかったのですか? 私の信仰はゆるぎないも
のでした。なぜ見捨てたもうたのです?」
 主の御声が響き渡りました。「見捨てただと?」 「私は、お前に手漕ぎボートを遣
わした。モーターボートも遣わした。それにヘリコプターまで遣わしたではないか。」
 「いったいお前は何を待っていたのかね」

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