背後隷


 異変に感づくのは、すぐだった。僕の股間に手が伸びている。
混雑のあまり、それを目で確認することはできないのだけれど、
どう考えても手が「当たっている」という感じではない。
 それはあきらかに、「触られている」感覚だった。
 意外に、僕は冷静だった。ああ、これが女痴というものかとか
思いながら、何気なくその体勢をずらそうとする。満員のバス、
体勢を変えるだけでも一苦労だ。そうやって、なんとかその手か
ら逃れることに成功した……と思った。
 どうやら、甘かったらしい。まるで伸縮自在なのかと思うくらい、
その手は執拗に僕の股間を追ってきた。更に、逃げたことで相手
の興奮でもかき立ててしまったのか、もう片方の手が、尻にまで伸
びる。
 僕は、たまらず舌打ちを一つ「チッ」と大きめに打った。その瞬間、
その両手がびくっと震える。それで手を引っ込めてくれればいい、
と思ったのだが、そうはいかなかった。痴漢をする根性があるくらい
ならば、このくらいでは引いてくれないのだろうか。状況はまったく変
わらなかった。
 しかたがないので、今まで肩の上に乗せていた手を、下におろして
いく。痴漢と間違われないように上げていた手を、痴漢のために下ろ
すなんて、マンガでもねえよなあとか考えながら、相手の手を探る。
 その手が犯人を探り当てたとき、僕は愕然とした。その手が、女の
ものではなかったからだ。その感触から伝わる骨格、厚みがあきらか
に男のものだった。濃いめと思われる体毛が、僕の手のひらをざらりと
撫でていく。それを認識した3秒後。僕は、全身が総毛立った。女性が
相手だと思っていたときには、大して感じていなかった嫌悪感が一斉に
僕を覆い尽くし、それを毛根一本一本に伝えていく。
 僕は、きわめてノーマルな人間だ。今は彼女がいないが、普通に女性
を好きになり、女性に欲情する健康的な男性だ。その僕が、男に触られ
ている。どうしようもない怒りが、僕の頭を支配しようとしていた。怒鳴り
つけるか。手をねじりあげるか。この相手に対する仕打ちを、血が上った
頭でいろいろと考えていた。
 しかし、ほんの少しだけ冷静になった部分が、僕によけいな警告をして
きたのだ。「これがばれたらどうなる?」「男同士の痴漢など、誰が信じて
くれる?」と。それを思ったとたん、その考えはすぐさま僕の頭の中を支配
して、冷やしてしまった。確かに、これが回りに知られるのは非常に立場
が悪いし、そもそも信じてくれるかも怪しい。
 そう考えているあいだにも、その手はもぞもぞと僕の股間と尻をなで回
している。冷静になっても、どうしようもなく腹が立っているのは変わらな
かったから、じっと降りるバス停を待った。
 ようやくバス停が近づき、もうすぐ僕は悪夢から解放される。そして、
ドアが開く瞬間、僕はその手を思い切りつねってやった。僕の急所を握って
いる以上、過激な攻撃はできなかったから、この程度で終わってしまった
のがかなり悔しかったが、ほんの少しだけ気が晴れた気がした。
 ただ、あれほど強くつねられても声をあげなかったことだけは、称賛に
値するかもしれない。
 
 
 三日目。やっぱり手はどうしても僕を追ってきた。大して本数が
ない割に、駅へ行く人数が多いから、いつも満員のバス。そして
その本数の少なさが災いして、時間をずらすこともできない。
 結局、昨日、今日とまた悪夢と戦っているのだ。
 ただ、男の機能というのは、結構単純なのかもしれない。
 初日は嫌悪感に支配されていたのだが、そのあとは少し余裕
が生まれてしまった。それがいけなかった。その手の動きを感じ
てしまったとき、僕はそれに反応してしまった
のだ。むくむくと、僕のモノが大きくなっていく。
 嫌悪感は、僕自身に向いていった。痴漢の、しかもよりによって
同性の手で反応してしまうなんて。悔しくて悔しくて、ぎりぎりと
前歯を噛みしめてみる。
 噛みすぎて、前歯がゴリッと音を立てて、ほんの少し欠けた。
 その間にも、相手の手は僕のモノが反応したことによって、
ますます調子づいていく。はじめは握るだけだった感触が、
ゆっくりと前後に動くようになった。
 それに、僕は意志とはまったく無関係に震えてしまう。
 その、嫌悪感やら怒りやらごちゃごちゃになった感情があふ
れてきて、後先も考えずに、相手の手を思い切り殴りつけていた。
 満員のバスでそんなことをすればどうなるか。結果、僕は回り
の避難の視線にさらされることになった。ただ、僕はその視線
には、かなり長い時間気づけなかったのだが。なんせ、自分で
自分の股間を思い切り殴ってしまったのだから。
 その日、普通に歩けるようになるまでは、かなりの時間を要した。
 
 
 一週間後。僕はある意味、達観してしまっていた。男の機能
なんて、そんなものなのだと。しごかれりゃ、起ってしまうもの
なんだと。まあ、世間一般でいえば、あきらめというのかもしれない。
 おとといから、僕のモノはズボンの外に出されるようになって
いた。じかに、相手の手の感触が伝わってくる。ごつごつして
いるけれど、確かにその手からは快感が送られてきていた。
 そういえば、僕はこの相手の顔を見たことがない。見たくも
ないというのが確かにあったけれど、それだけでもない気がし
ていた。顔を見てしまったら、僕はもう逃げ出せなくなってしまう。
 訳もなく、そんなことを感じていたのだ。
 顔も知らない相手が、僕のモノを執拗に責めてくる。責めると
いうのは、間違っているのだろうか。同性だけあって、快感の
ツボをよく知っている。ゆっくりと先っぽをなでたかと思うと、
ごしごしと擦ってきたりする。僕は正直、射精感を我慢するだけ
で精一杯だった。
 そんな僕の感情を読んだのか、それとも相手の欲望そのまま
の行動なのか。相手の片方の手が、僕の後ろの穴をつついた。
そういうことをされたのは初めてだったが、急速に限界が近づ
いてきたのがわかった。これ以上はマズい、と理性が僕に呼び
かけてくる。だけれど、その理性以外のところが、僕を硬直させ
た。
 そんな自分に愕然としたとき、その指が、僕の中に入ってきた。
 そのとたんに、僕はすごい勢いで僕は射精した。前の、見知
らぬ女のスカートに、思い切りぶちまける以外なかった。
 涙が一筋だけ流れたことは、相手には絶対知られたくなかった
けれど、身動きのとれない車内でいったいどうすればよかったと
いうのだろう。
 匂いませんように、匂いませんように。ただ、それだけを考えていた。

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