1回:「てんやわんやの成田空港」
チェックインカウンターの
前の鷹巣町の皆さん






 十一月十九日午前十時三十分夫と私は成田
空港第2ターミナルHカウンターの前に立っ
ていた。時間と場所を自ら指定した米沢さん
はまだ来ない。
 米沢さんというのは、秋田県鷹巣町の総務
課に勤務する方で今回の「福祉先進国視察の
旅」の世話係である。鷹巣町が毎年行なって
いる視察旅行に、岩川町長さんのご好意で私
たちも混ぜていただけることになり、以後、
現地との交渉からチケットの手配、スケジュ
ール調整など全ての面倒を見てくださった方
である。ただしそれらの諸連絡は、すべて電
話やファックスなどの通信機器を通して行な
われたために、私たちはお互いに一面識もな
いのであった。
 夫は「その辺を見てくる」と言って、Hカ
ウンターの周囲をぐるりと回り始めた。私は
いかにも町の職員らしい、公務員風の男性は
いないかとしばらくあたりを見回していたが、
やがてあきらめて近くの椅子に腰をおろした。
 時間はまだまだある。出発は午後の二時な
のだ。米沢さんの計画では、十時半に私たち
と落ち合い、航空券その他の書類を手渡す。
私たちはそれを持って自分でチェックイン
を済ませ、あとは自由にして時間までに搭乗
口へ行く。






























 一方米沢さんは鷹巣からの参加者十八名分
の荷物を宅配カウンターから引き取り、チェ
ックインカウンターまで運んでおいて、十二
時頃に到着予定の町長他十六名を待って、一
気にチェックインする…というのだが。
 と、そんなことをあれこれ考えている私の
斜め後ろに若い男性がやってきて、私の真後
ろに座っている中年の紳士に話しかけた。も
しやと耳をすませると「…宮古の…」という
言葉が聞こえる。(この人だ!)後ろの男性
が首を横に振っているのが気配でわかる。
「失礼しました…」と立ち去ろうとするその
人に向かって「米沢さん‥」と小さく呼びか
けて立ち上がる。視野の端には、カウンター
を一周してきた夫の姿が見えていた。一瞬に
して状況を判断した三人は、互いに安堵しな
がら挨拶を交わし、私たちは無事に航空券を
手にした。
 それにしても鷹巣町の人たちはのんきだ。
当日の朝の国内便で羽田まで来て、そこから
バスで成田に向かうと言うのだ。地方空港は
天候の加減で欠航も頻繁にあるし、羽田〜成
田間だって順調に来れるかどうか…。
 とにかく、チェックインを済ませ、マルク
への両替へも済ませた私たちは、山のような
荷物に囲まれている米沢さんと共に一行の到
着を今や遅しと待ちわびていた。     
 案の定渋滞でバスは遅れ、一行が到着した
時はすでに午後一時を回っていた。
2回:「真夜中のハンブルク」
デンマーク社会研究会
理事長 片桐豊さん(左)と
デンマーク国立ドイツ研修所
所長 カール・ニューホンさん
  飛行機は三十分ほど遅れて午後二時三十分
成田空港を離陸した。
  最初の目的地はドイツのハンブルク。直航
便はなく、フランクフルトで乗り換えること
になる。
  約十二時間のフライトでフランクフルトに
着いたのが現地時間の夜七時。日本との時差
は八時間である。フランクフルト・ハンブル
ク間は飛行機で一時間の距離だが、接続が悪
くフランクフルト空港で三時間近く待つこと
になった。
  やっとハンブルク空港に降りたった時には
すでに十一時半をまわっていた。
  疲労と寒さと期待がごちゃまぜになった複
雑な気持ちで到着ロビーに出ると二人の日本
人が待っていた。一人はデンマーク社会研究
協会(DSSA)理事長の片岡豊さん。現地
での研修の一切をコーディネートしてくださ
る方である。もう一人、通訳として片岡さん
の助手を務める樋口菜穂さんは、デンマーク
の作業療法を学ぶ留学生だ。
  飛行機の中で少し眠ったとはいえ、ほとん
ど徹夜状態の私たちは「これからバスで二十
分、そこから少し歩いてもらいますよ。」と
片岡さんに言い渡されて、少し挫けて無口に
なってしまった。































  バスの窓から町を眺める。夜の闇の中に灰
色の石造りの大きな建物が立ち並び、道路は
雪なのか霜なのか、白いものに覆われている。
窓から漏れる明かりは赤く、暖かそうだ。マ
ッチ売りの少女が今にもその角から現れそう
な…始めて見るハンブルクはそんな町だった。
  それにしても寒い。バスの中にいてもどん
どん手足が冷たくなってくる。掌を擦り合わ
せながらバスに揺られていると、片岡さんが
やっと「着きました」と言ってくれた。バス
を降りると、目の前に小さな上り坂が待って
いた。最後の難関…  これを乗り切れば、暖
かいお風呂とベッドが待っている。そう、自
分に言い聞かせながら、両手でスーツケース
を押して登っていく(一時間後、このささや
かな希望は夢と散るのだが…)。
 まもなく、夜の闇を背景に浮かび上がって
きた建物には「デンマーク国立ドイツ研修所」
の文字が…。ホテルじゃないと分かってちょ
っと驚いたのは、情報不足の私だけだったよ
うだ。回りの皆は黙々と荷物を運んでいる。
  体格の良い白髪の紳士がドアを開けてくれ
た。片岡さんは紳士と握手をして、挨拶を交
わした後でおもむろに言い放った。「こちら
は研修所長のカール・ニューホンさんです。
今から所長さんの講義を聴いてもらいます。」
(えっ、そんな…)
3回:「ハンブルク 研修所の朝」
デンマーク国立ドイツ研修所
熱心にメモを取る参加者
  十一月二十日、研修初日の朝がやってきた。
昨夜のニューホンさんの「講義」は二分間の
歓迎の言葉で終わり、準備してあった温かい
野菜スープとラザニアをいただいた後、各自
に部屋が割り当てられた。
  シャワー室とトイレは3〜5室に一つの割
合で廊下にある。シャワー室の中は文字通り
シャワーのみ、浴槽はない。その上私たちの
部屋は暖房が故障中。もう夜中の2時だし、
片岡さんを起こすこともできずに、持ってき
た全ての衣類を蒲団の上に乗せ、足先とお腹
の上にホッカイロを置いて、やっと眠りに付
いたと思ったらもう朝だ。6時を過ぎている
のに窓の外はまだ暗い。それにこの寒さ。と
ても蒲団から出られない。
  7時を過ぎると、そろそろ廊下がにぎやか
になってきた。大急ぎで服を着て、部屋のす
みの洗面台で顔を洗う。7時半に夫を起こし
て、二人で食堂に行く。まだよく名前が分か
らないが、ほとんどの人がすでに朝食を始め
ていた。朝の挨拶を交わしながら空いている
テーブルに腰を下ろす。
  朝食はいたってシンプル。中央のテーブル
にはスライスした各種のパン、チーズ、ハム
が大皿に盛られている。オーブンで焼いたじ
ゃが芋と、ドイツ名物キャベツの酢漬。これ
にコーヒーか紅茶をいただく。少し遅れて片































岡さんと岩川町長がやってきて同じテーブル
に座った。早速片岡さんに暖房の修理をお願
いすると、部屋を代えてくれることになった。
町長さんは前からひいていた風邪がいっそう
ひどくなったと言って、つらそうにコーヒー
を飲んでいた。
  ニューホンさんの本当の「講義」は、この
日の朝9時に始まった。ドイツの介護保険や、
福祉施設に付いての説明だった。この後、ハ
ンブルクで最も進んだ設備の老人ホームを見
学の予定だったので、皆真剣にメモを取って
いる。
  デンマーク人のニューホンさんから見ると、
ドイツのシステムはまだまだ問題が多いと言
うが、介護保険をいち早く取り入れたことや、
老人ホームは二人部屋が基本……等々、日本
から見たらずっと進んでいるのだ。一時間半
の講義が終わって、私たちは外に出た。中に
いるとつい忘れてしまうのだか、外はやっぱ
り昼でも氷点下の寒さなのだ。木々も草も表
面が白く見える。水分が少しでもあるとすぐ
に凍ってしまうのである。少し歩くと、寒さ
のために頬が固くなって、うまく言葉が話せ
なくなる。高緯度の太陽は、弱々しくてパワ
ー不足だ。
  歩いて十分程の所に、目的の老人ホームは
あった。

4回:「ハンブルク ホルン介護センター」
ハンブルク 
「ホルン介護センター」
食堂で昼食をとる入居者の方々
 「ホルン介護センター」はハンブルク市で
最も古く、しかも最も設備の整った老人ホー
ムである。赤レンガの建物は、大きな看板も
なく、住宅地に違和感無く溶け込んでいる。
 まず食堂に案内され、所長代理のカーリン
カーザさんから、ドイツの介護保険とこの施
設についての詳しい説明をしていただく。そ
の後、十名づつの二つのグループに分かれて
内部を見学する。
 入居者数162人。入居費用の半分以上を
介護保険でまかなうことができる。それ以外
は、本人か家族が負担し、それができない場
合には市が払う。
 ちょうど昼食の時間で、ナースステーショ
ン前のホールでは車椅子に乗って自分で食事
している人が4人、移動式ベッドの背もたれ
を上げて、スプーンで食べさせてもらってい
る人が2人いた。もっと元気そうな人は食堂
で食事中なので、部屋はどこも空っぽである。
 許可をいただいて2〜3の部屋を見せてい
ただいた。二人部屋がほとんどだが、どの部
屋もきちんと整頓されている。ベッドカバー
はそれぞれがお気に入りのものをかけている。
ベッドの傍の飾り棚には家族の写真がいっぱ
いに飾られている。二つの部屋の真中にシャ
ワーとトイレがあり、両方の部屋から入れる
ようになっている。































  トイレの両側に見慣れない白いアームが付
いている。カーザさんに質問すると、アーム
を動かしてトイレの横に固定して見せてくれ
た。折畳式の身障者用アームであった。あっ
という間に、ただのトイレが車椅子用に変身
する。これはいいなぁとしばし感動して見と
れてしまった。
 一人部屋も見せてもらう。自室で静かに食
事をしていたヘミン・オットーさんが満面の
笑顔で招き入れてくれた。窓際にはきれいに
花が飾られ、白い壁には沢山の写真が飾られ
ている。人懐こいオットーさんと、手振り身
ぶりで話をし、一緒に写真を撮ったり、名前
をノートに書いてもらったりしているうちに
皆は先に行ってしまった。写真を送ることを
約束し、握手をして手を振ると部屋の外まで
送ってくれた。
 一通り見て回って、カーザさんにお礼を言
って帰る道々考えた。日本でイメージする老
人ホームとどこかが違う。どこが違うのかと
しばらく考えてやっと思い至った。ベッドで
寝ている人がいなかったのだ。寝間着姿の人
は一人もいない。全員ごく普通の清潔な服装
で、髪もきれいに整えている。
 明るく快適で羨ましいような老人ホームな
のに、片岡さんや樋口さんはデンマークと比
べるとまだまだだと言うのだ。本当だろうか?
5回:「ハンブルク ホルン介護センター

第1日目
〜 ホルン介護センター〜

消費税:ドイツ16%、デンマーク25%
  ホルン介護センターから戻って昼食を済ま
せた私達は、午後から再びニューホンさんの
講義を受けた。ドイツとデンマークの税制に
ついてである。
  高福祉は当然高負担を要求する。日本と比
べると所得税も消費税も格段に高い。ドイツ
の消費税は16%、デンマークではなんと25
%である。デンマークには、老後のために貯
金をする習慣はない。老後は国や地方自治体
が面倒を見てくれることを当然のことと受け
とめ安心しきっている。ほとんど100%の
家庭が共働きであり、税金を払い、生活をし
て、残ったお金で余暇を楽しく過ごすことが
できれば、それで十分なのである。
  高福祉高負担が、日本の国民性に受けいれ
られるのかどうかは別問題として、福祉の充
実を望むならば、ある程度の痛みを伴うのが
当然であると考えなければいけない。
 ドイツとデンマークの税制度を学んだ後に、
私の心に浮かんだのは穏やかな表情をした、
ホルン介護センターの入居者の方々の顔であ
った。
  この日の夕食後、初めて参加者一同が顔を
揃え自己紹介をした。鷹巣町の18名は、町
長、町職員2、社会福祉協議会職員4、町民






























11名という構成である。町民の職業は実に
さまざま。ホテル経営者農協職員、歯科医、
建築士、主婦、学生などなど。それぞれがそ
れぞれの目的と思いを持って参加していた。
例えば、ホテル経営者の松尾さんは、一町民
の立場からも福祉のお役に立てるはずだと、
施設の視察中も熱心に質問しメモを取る。ホ
ルン介護センターで見つけたトイレ用のアー
ムは早速注文して、ホテルのトイレに取り付
けたいと言っていた。社協職員でヘルパーで
もある近藤さんは、ホームで介護されている
お年寄りの表情の明るいことがとても印象的
だと語った。介護の仕方が違うのだろうか、
自分たちの技術が未熟なために相手に緊張を
強いているのではないか等と、日頃の自分の
仕事ぶりを振り返り、この研修に並々ならぬ
意欲を見せているのが感じられた。
  こうやって、町職員や町民一人一人が、自
分の目線で福祉を考える機会とすることが、
まさに岩川町長さんの目的なのだと気がつい
て、町長さんの先見性と実行力に頭が下がっ
た。
  夜も更けて、この日は暖房の良く効いた部
屋に移り、快適な睡眠につくことができた。
明日は土曜日、皆でハンブルク市内観光に出
かける予定である。          

6回:「ハンブルク市内観光」


寒風の中を散歩する親子(左)
 十一月二十一日土曜日。施設見学はお休み。
賄いの小母さんも、ニューホンさんも休日らし
く姿が見えない。
  私達は朝食後デンマークの福祉について予備
知識を得るために、片岡さんから一時間程度の
講義を受けた後早速町に繰り出した。
  地下鉄に乗って四つ目の駅で降りると、そこ
は「ハンブルク 中央駅」。 大きなデパートが
立ち並ぶ大通りを十分ほど歩くとハンブルク市
庁舎に着いた。歴史を感じさせる立派な建物で
ある。もちろん日常業務も行なわれているが、
ハンブルクで最も有名な観光地でもある。市庁
舎というよりまるでお城。英語のガイド付庁内
ツアーまである。
今日は土曜日だから休みだけれど、普段は観光
客が歩き回っている部屋と、扉一枚隔てた隣の
部屋で、日々の業務が遂行されているのだ。
  市庁舎の見学を終えて外に出ると、すぐ側に
湖があり、水鳥が泳いでいた。湖の半分は凍っ
ている。今日も寒い。だが寒そうに背中を丸め
ているのは私達だけで土地の人たちは皆颯爽と
胸を張って歩いている。赤ちゃんだって、ベビ
ーカーに乗せられて寒風の中を散歩している。
この寒さに耐えるためにはやはりカロリーが必
要なのだ。
旅の間じゅう閉口したのは出される食事の量の
多さと、油っこさ。若い人たちは皆モデルさん































 のようにスラリとして美しいが、年齢と共に男
女を問わずほとんど肥満体になるようだ。この
食事を続けていたら…納得である。
 午後はチャーターしたバスで市内の名所巡り。
数度の大火により歴史的な建造物は少ないと言
う説明であったが、それでも2〜3のすばらし
い教会を見ることができた。だがなんといって
も圧巻だったのはエルベ運河にかかる橋の上か
ら眺めた夕焼けの美しさである。周囲に山らし
い山の無いハンブルクでは、大きな夕日がビル
の谷間に沈んでいく。
緯度が高いため午後三時を過ぎた頃から夕焼け
が始まり三時半頃にはすっかり沈んでしまう。
大きな大きな太陽がハンブルク市内を包み込む
ようにゆっくりと落ちて、オレンジから薄紫へ
と町を塗り替える。その三十分のショーを息を
呑んで見終ると、町はクリスマスのイルミネー
ションが点灯し、夜の闇が次第に濃くなるにつ
れて、ライトアップされた町全体が幻想的に浮
かびあがって来る。
ハンブルク最後の夜は、町の中心にあるテレビ
塔の上の展望レストランで食事をした。少し古
いのかガタゴトと音をたてながらゆっくりと回
る。三百六十度のハンブルクの夜景を眼下に見
ながら、少しセンチな気分になる。
 デンマークではどんな研修が待っているのだ
ろう。さようならハンブルク。美しい町。


7回:「いよいよデンマークへ」
朝市の帽子屋さん(中央が、まけてくれた小父さん)
 日曜日、今日はもうハンブルクを去る日。
お昼過ぎにバスで出発ということで、午前中
は自由時間。荷物の整理に追われる人が多い
中、私と夫は前から行きたかった、有名なハ
ンブルクの朝市に出かけた。
港の側に、延々2キロ位それは続いていた。
簡単なテントや屋台、車の荷台などにハンブ
ルク市民の衣食住の全てが所狭しと並べられ
ている感じだ。
 夫があまりの風の冷たさに耐えかねて、ニ
ットの帽子を買った。市場では値切るものだ
と聞いていたので、手振りと英語で「もっと
安くして…」と頼んでみた。しかし店の小父
さんの反応は今一つである。通じなかったの
か…と、ちょっとがっかりして37マルクの
値札を見ながら50マルク紙幣を出した。お
釣りは10マルク紙幣が2枚。
小父さんがにっこり笑って、帽子をかぶって
いる夫のほうをあごで示す。ドイツ語で何や
ら言って私に何度も頷いて見せる。
「良く似合ってるよ」と言ってるらしい。
「ダンケ、ダンケ」と手を振ってその場を離
れ「まけてもらった」と言うと夫は驚いて
「良く通じたね」と苦笑いをした。
 冷え切った体を抱えて研修所に戻ると、最
後の昼食を、賄いの小母さんが、気合いを入
れて準備してくれていた。夕食のような豪華
さである。小母さんたちはこうやって、今ま
でに何人の外国人を見送ったのだろう。
言葉は通じなかったけれど、いつも暖かく接
してくれた。































 「どうもありがとうございました」最後に
皿を片づける時は日本語で言った。いつもの
ように笑顔で頷いてくれた。いつもはすぐに
台所に下がるけれど、この日は全員が食べ終
わるまで見ていて、握手をしてくれた。
 所長のカールさんと玄関で握手を交わし、
バスに乗り込む頃には皆の目が赤くなってい
た。
 5時間のバスの旅。国境のパスポート検査
もあっけないほど簡単に済んで、私達はいよ
いよデンマークにやってきた。
 次の研修地ハメル市は、夜の闇の中から不
意に現れた。本当にそれは突然と言ってもい
いような現れ方だった。人家の灯も街灯も見
えない田舎道をバスに揺られて、旅の疲れが
出始めていた私達は全員眠っていたと思う。
ふと気がつくと、真暗な中に童話の国のよう
なイルミネーションが見えた。明るい大通り
が現れ、店のウィンドウは、クリスマス一色
に飾られている。
赤いハート型の電気が道の中央にぶら下がり、
両側に黄色い豆電球が流れるように配置され
ている。そのセットがずっと遠くまで続いて
いる。「きれいだ」「すごいね」「夢みたい」
目覚めた順に歓声が上がった。








8回:「ハメル市役所訪問」
市議会で説明を受ける(中央立っているのがマイエンヌ議員)
 ハメル市は人口約一万人。市内の主な施設は
ほとんど徒歩で回れそうな小さなまちである。
 十一月二十三日、月曜日の朝八時五十五分、
ホテルから歩いて五分ほどでハメル市役所の前
に着いた時、私は思わず涙ぐんでしまった。市
役所前のポールにデンマーク国旗と並んで日の
丸の旗が揺れていたのだ。ハメル市の「お客様
を迎える心」に触れた気がした。
 今日は「正装」でと言われていたので、いつ
もはセーターにジーンズ姿の若い人たちもスー
ツでビシッと決めている。いよいよハメル市の
市長さんにお会いするのだ。
 九時丁度に、市役所の玄関を開けて中に入る。
壁も天井も木製で木の香りが漂ってくるような、
新しく美しい市役所だ。満面の笑みを湛えたニ
ルセン市長が、一人一人と握手をして出迎えて
くれた。
 入り口ホール隣の市議会場に案内された。こ
こでこの街の福祉の説明を受けるのだ。
 ニルセン市長によれば、ハメル市は十年ほど
前まではこれといって特徴の無い、寂しい田舎
町だった。九年前、ニルセンさんが市長になっ
た時(デンマークでは市長は市議の互選によっ
て決められる)、市の経済力は全国で下位四分
の一に入っていた。新市長のニルセンさんは市
民から広くアイディアを求め、積極的に成長政

























策を取り入れていった。結果として魅力あるま
ち作りに成功し、周辺からの人口流入が進み、
現在では上位四分の一に入る経済力である。
 続いてハメル市の福祉の頂点に立つ、社会(
福祉)委員長のマイエンヌさんが紹介された。
マイエンヌさんは若く美しい女性議員。社会省
(日本の厚生省にあたる)のプロジェクトコー
ディネーター(就労能力の低い人に仕事を世話
する役目)の仕事をしながら、政治家としても
能力を発揮している。
 ハメル市の社会委員会は、成人と老人を対象
に、生活保護、疾病手当、失業対策、障害者の
ケアなどを行なっている。具体的には、地域ご
とに設けられた介護施設とその中にある在宅ケ
ア部門、痴呆性老人のためのケアハウス、元気
な高齢者の趣味や交流を支援するアクティビテ
ィ部門、食事の用意が出来ない人に財料費の負
担のみで食事を提供する食事サービス、ショ−
トステイ部門、全ての施設の食堂を運営する食
堂部門の六つの機構がある。委員長のマイエン
ヌさん以外は全て市の職員で、調理員や、ヘル
パーさんなどもすべて公務員である。
 市の年間予算約二億二千五百万クローネ(約
四十五億円)のうち、福祉予算は約二割。ハメ
ル市はデンマークでも最高の福祉を提供できて
いるとマイエンヌさんは胸を張った。




9回:「介護センター見学」
広々と明るい、スカグホイ介護センター
リビングルーム
 マイエンヌ議員から詳しい説明を聞いた私達
は、午後から二つの介護施設を見学することに
なった。
 最初に訪れたのは、スカグホイ介護センター。
ショートステイやリハビリ、アクティビティな
どに利用されている施設だがそれ以上に大きな
役割は、在宅ケアの活動拠点となっていること
である。
 ここでは、ハメル市を3つの地区に分けて、
それぞれの地区を50〜65名のナースやヘル
パーが担当している。各グループは、更に痴呆
性老人のケアグループ、ショートステイ担当グ
ループ、ホームヘルパーのグループに別れてい
る。そして、地区リーダーを中心にミーティン
グを重ね、それぞれのグループがやりやすい方
法でケアに取り組んでいる。在宅ケアを利用し
ている人は市内全部で約130名いてもちろん24
時間対応である。
 地区リーダーの一人であるイエテ・ラウマン
さんから一通り説明を受けた後、施設内を見学
した。
 ショートステイで入所している人ほとんど全
員がリビングに出て、午後のコーヒーとおしゃ
べりを楽しんでいた。
 居室はほとんど一人部屋で、美しく整頓され
ていることと家族の写真が多いことは、ハンブ
ルクで見た老人ホームに似ていた。

































 おもしろいと思ったのは、職員の腰痛予防の
ためのトレーニングルームである。ぶら下がり
健康器やウォーキングマシンなどが所狭しとお
いてあり、職員は休息とリフレッシュを求めて、
いつでも使えるようになっている。
 また、圧巻は車椅子や歩行器などの補助器具
を用意する工作室。一人一人の体や症状にに合
った物を作るための愛情と工夫のまさに「集積
場」である。
 市販の車椅子をそのまま使用することはまず
ないというので驚いた。考えてみれば、体格も
症状も異なる利用者に同じものを使わせたら、
ちょっと使いにくい人が出てくるのは当然であ
る。そのためにここにはパイプや車輪の大きさ
を変えられるように、たくさんの部品や工具が
揃っている。また、以前入所していた人が使っ
ていたものも、古くて壊れてしまったものも捨
てないで保管してある。ちょっと手直しすれば
また誰かに使えるかも知れないから…。そして
当然、そのような改良や手直しが出来る知識と
技術を持った専門職員が何人かいて、症状の変
化や、使い心地の悪さなどにいつでも対応でき
るようになっている。
 こうして見学している間にも在宅ケア担当の
ヘルパーさんたちは、出たり入ったりしている
のだけれど、どの人もゆったりして、おだやか
な印象である。
10回:「エルモホイ・ケア付き住宅」
エルモホイ・ケア付き住宅
室内を見せて下さったご婦人
  スカグホイ介護センターを一通り見学
した後、道路をはさんで向かい側にある
エルモホイ・ケア付き住宅の方へ移動し
た。
 ここは市内に一O七戸ある高齢者のた
めの住宅の一つだ。高齢者用住宅にはケ
ア付きとケア無しがある。ケア付きは二
四時間いつでも必要なときに手厚いケア
が受けられる。建物は住宅協同組合の所
有であり、当然家賃は支払うがケアに関
してはすべて無料だし、向かいにある介
護センターを利用したアクティビティの
サービスも無料で受けられる。
 入居している一人暮しのご婦人に室内
を見せてもらった。車椅子でも動き回れ
る様にスペースはゆったりしている。ベ
ッドルームには大きなベッドが二つあり
人形などがおいてある。「夫が元気だっ
た頃に二人でここに入ったの。一人では
広すぎるけれど、思い出が沢山あるから
移る気はないの。」きちんと整頓された
リビングで静かに微笑んでそう言った。
 ちなみにデンマークでは、老人が死を
迎える場所は介護センターやケアハウス
などの施設が圧倒的に多い。自宅での死
というのは若い人の病気や事故がほとん
どである。また、病院には手術や特別な
治療が必要な人だけが入院し、慢性疾患
や、積極的な治療法がない場合には施設
にいて、必要に応じて担当医が施設に呼 
































ばれる。だから病院での死も、高齢者に
関しては非常に少ないのだ。たとえ入院
しても、いわゆる延命治療と呼ばれるも
のは行なわれない。それでも日本に次い
で世界第二位の長寿国である。
 ドイツでも感じたことであるが、この
国でもベッドに寝たきりのお年寄りには
ほとんどお目にかからない。在宅ヘルパ
ーさんの大切な仕事の一つに、朝ベッド
から起こして、着替えを手伝い車椅子に
乗せるというのがある。同様に夜は、寝
る準備をしてベッドに移す。一回十五分
ぐらいで済むのだが、それだけを頼んで
いるお年寄りも多いのだという。
 二つの施設を見学した後で、ラウマン
さんに質問をした。制度や待遇面でこれ
がベストかどうか…。ラウマンさんの答
えは明快だった。私たちは十分な報酬を
もらって、やりがいのある仕事に就いて
いる。待遇面で不満はない。制度的には、
もっとアクティビティ部門を重視すべき
だと考え、市にもそのように伝えている。
アクティビティは高齢者の現存機能の維
持や、失われた機能回復のためにも非常
に重要である。「生きるということは、
可能な限りより良く生きること。そのた
めに私達は手を出しすぎず、見守ること
と待つことを肝に銘じています。」仕事
に誇りを持てることが何より幸せと、ラ
ウマンさんの笑顔が語っていた。

11回:「ニルセン市長主催夕食会」
鷹巣町から贈られたこけしに見入る
ニルセン市長と社会課長。
 二つの施設を見学した後ホテルに戻っ
て休憩していた私たちを、ハメル市のバ
スが迎えに来てくれた。ニルセン市長が
夕食に招待してくれたのだ。
 二十分ぐらいバスに揺られて着いたと
ころは湖畔の古城。内部が改装されてレ
ストランになっている。あたりは既に北
欧の早い夕闇に包まれ、ライトアップさ
れた古城のたたずまいがいやがうえにも
旅情を誘う。私たちは今こうしてデンマ
ークにいるのだナァ…。
 中にはいると、一階部分は昔のままに
保存されていた。奥は厨房に改造されて
いるのかもしれないが、私たちは案内さ
れるままに木製の階段を昇った。二階は
広いレストランになっている。ニルセン
市長と社会課の課長さんが既に席に着い
て待っていてくれた。
 挨拶をして私はニルセン市長の隣に座
る。座を盛り上げなければ…、和やかに
しなければと焦りつつ、なるだけ会話が
途切れないように、ニルセン市長が誰と
も話していない時には一生懸命話しかけ
ていた。だが…なんだか、どうも私の話
があんまり通じないようだ。簡単な質問
を何度も繰り返すと、ようやく少し答え
てくれると言う感じ。でも、顔はにこに
こと、満面のニルセン・スマイルで迷惑
そうには見えないのだが、私の発音が悪
いのか…。やがて気配を察したニルセン
































市長が、片岡さんに何か言った。片岡さ
んは大きくうなずくと、私に向かって「
ニルセン市長がこう言ってます。私は中
学しか出ていないので、英語も分からな
い、でも片岡がデンマーク語も、日本語
も分かるからコミニュケーションは大丈
夫、と。」
 マイエンヌ議員も、ラウマンさんも、
そして迎えに来てくれたバスの運転手さ
んも皆英語で答えてくれたので、デンマ
ークの人は皆英語が話せると思いこんで
いた私の失敗だ。私の動揺をフォローす
る様にニルセン市長はにっこり笑って更
に片岡さんに何か言う。片岡さんがそれ
を通訳する。「外国のお客様が来ても大
丈夫。職員は大抵話せるし、私の妻は英
語もフランス語も話せるから、家でもo
kなんですよ。」課長さんが更に付け加
える。「市長の奥さんは市役所の課長で
す。有能な方ですよ。」ニルセン市長の
笑顔は皆を幸せな気持ちにさせる。片岡
さんが食事をとる暇が無いほど話が弾み、
鹿肉をメインにしたボリュームたっぷり
の食事も美味しかった。市長の暖かい配
慮が随所に感じられる素晴らしいもてな
しであった。
 食事を終えてバスに乗り込む私たちを、
ニルセン市長と課長さん、そして、美し
く白く輝く湖上の月がいつまでもいつま
でも見送ってくれていた。



12回:「痴呆性老人ケアセンター見学」

デンマークハメル市
痴呆性老人ケアセンター見学

音楽療法〜最終回

みんなで一緒にいただく最後の昼食
 
  音楽療法が始まった。全員の視線が、小さ
なピアノの前に座った一人の女性の上に注が
れ、その手が動くのを今や遅しと待ち構えて
いる。
 スタッフと入所者は交互に並んでぐるりと
円を描いて座っている。車椅子の人も、移動
ベッドの上に起き上がっている人もいる。軽
快な曲が始まり、きっと「首を右に」とか
「手を前に伸ばして」とか声を掛けているの
だろう。一声毎に少しずつ皆の動作が変化す
る。椅子に座ったままでもできる軽い体操だ。
私達見学者も、もう一回り大きな円を描いて、
ぐるりと全体を取り囲むように座り、皆の動
きに合わせて、一緒に体を動かしてみる。
 皆、楽しそう。言葉にならない声や笑い声
がお年よりの口から漏れる。「おっ」「わっ」
というような掛声(?)も飛び出してくる。
さっきまでリビングで静かにじっとしていた
人達とはとても思えない。いい表情をしてい
る。動きは少しづつ大きくなり、隣同士、手
を繋いで体を左右に揺すったりするようにな
ると、私達も少し汗ばんできた。四十五分は
あっという間に過ぎ、お茶とお菓子で小休止。
  休憩の後は歌の時間。歌詞カードを見なが
ら真剣に歌う姿は小学生のようで微笑ましい。
 いよいよ最後のダンスが始まった。皆、こ
れが一番の楽しみだったようだ。立てる人は

































スタッフとペアになって、ピアノに合わせて
体を動かす。狭いフロアをいっぱいに使って
移動する。幸せそうな表情だ。少し踊ると、
スタッフは相手の手を導いて別の人と手を繋
がせると、座ったままでいる人達の方へ体を
向けた。
 すると…立てないでいる人達の手が一斉に
前に伸びた。あっちからもこっちからも、ス
タッフの手を求めて両手が差し出される。ス
タッフの数が少ないので余る人が出てくるが、
少し待つと別のスタッフがくる。待っている
間、手は必死で伸ばしたままだ。スタッフが
自分の前に来て手を繋ぎ、一緒に体を揺すっ
たり、くるりと回転して見せたりしてくれる。
その時のお年寄の嬉しそうなこと。それに応
えるスタッフの笑顔が素晴らしい。この仕事
に誇りと生き甲斐を持ち、余裕を持ってお年
寄りに愛情を注いでいるのが良く分かる。一
人として事務的な対応をする人はいない、全
員が慈愛に満ちた母の眼をしている。
 違和感を感じて頬に手をやると涙だった。
夢中で見ていて気がつかなかったが、松尾さ
んも木村さんも、男性の簾内さんだってハン
カチを当てている。私達はこれを見るために
遠くデンマークまで来たのだと思った。
老いることへの不安を解消するヒントが見え
たように感じられた。研修の最後を飾るにふ
さわしい経験であった。(終り)